トークイベント「震災は終わってない 南相馬の『いま』」開催報告
2018年3月9日、シャンティ国際ボランティア会 東京事務所1階の慈母会館にて、トークイベント「震災は終わってない 南相馬の『いま』」を開催しました。震災当初からコミュニティの再生や子どものために尽力されてきた「まなびあい南相馬」代表の高橋美加子さんをお招きし、当会南相馬事務所長の古賀とのトークセッションという形で、これまでの取り組みと今後に向けて、お話いただきました。
https://sva.or.jp/wp/?p=26489
原発事故による避難指示が解除された南相馬の「いま」
南相馬市は、2006年に原町市と相馬郡小高町、鹿島町が合併して誕生した市です。地震、津波による被害だけでなく、東京電力福島第一原子力発電所の事故の影響を大きく受けました。原発事故のため、市内の一部が居住制限区域や避難指示区域などに指定され、2016年7月12日に避難指示が解除されるまでには約5年かかりました。
その間にも、コミュニティは分断され、震災関連死も問題になりました。避難指示は解消されましたが、問題が解決したわけではありません。
震災前、小高区では12,842人が暮らしていましたが、戻ってきたのは約19%で半数以上が65歳以上です。
南相馬市小高区を中心に活動しているシャンティ南相馬事務所長の古賀は、こんな声を聞きました。
「小高が復興しているように見えたほうがいいのかな?」
「小高が復興していないように見せたい人がいるのかな?」。
いつか起こるであろう事故が起きてしまった
高橋美加子さんは2011年3月11日を「言葉を失い、ただしゃがみこむしかできなかった」と振り返ります。
後になって分かった話ですが、ある家族が3台の避難バスに分かれて乗ったら、避難所についたら家族はいなかったそうです。あの日、南相馬から避難するため出発したバスは、受け入れ先を探しながら走っていたのです。避難所に着くと、放射能を測定され、中には3月の寒空の中、校庭の水道で頭を洗わされた人もいました。
放射能を浴びた可能性のある大勢の人を受け入れることを誰も想定していなかったのです。古賀が初めて高橋さんに会ったとき「いつか起こるであろう事故がおきてしまった。起こしてしまった」という言葉を聞きました。
高橋さんが「つながろう南相馬」を立ち上げると、外から資金や人材などを提供して高橋さんたちの思いに応えてくれた人たちがいました。彼らの協力のおかげで「南相馬ダイアログフェスティバル」を開催することができました。このイベントで子どもたちに「いま、知りたいこと」を桜の花びら型の紙に書いてもらいました。
・いつになったらプールに入れるの?
・海や川で遊べるのはいつですか?
・じいちゃんちのすいかを食べてもいいですか?
など。高橋さんは「原子力を使ってエネルギーを作る意味があるのか考えてもらいたい」と言います。
受け身の状態から抜け出すための「聞き書き」
震災時、子どもはどうすることもできず、おとなも心が折れてしまいそうな状況でした。だからこそ、おとなも視点を変えることができれば、子どもにも反映されるはず。「まなびあい南相馬」では「心のセルフケア支援プログラム」としてお母さんと子どもためのワークショップを開催したり、「聞き書き」を行ってきました。
「聞き書き」とは聞いた話を書き留めること。例えば、認知症の元幼稚園の園長さんに当時の話を聞くと、その当時のはきはきした振る舞いをするようになったという話があります。
聞き書きで昔の遊びの話を聞くと、栗拾い、魚釣り、うなぎをつればかばやきに。食べ物をとることが遊びだったと語ってくれた人がいます。後日、原稿を確認しに伺うと、鳥を捕まえるためのしかけを70年前の思い出を頼りに、作って見せてくれたのです。
この南相馬の聞き書きをまとめた冊子は、当初余ってしまうかと思っていたところ、「他の人にも読ませたい」という方もいて、200冊を増刷したほど好評でした。
もう支援は必要ないの?復興したの?
この日、高橋さんは南相馬で作られたファッションアイテムを身につけ登壇されていました。小高で育った蚕からつむいだ絹糸を染めて作ったアクセサリーを販売する「MIMORONE(みもろね)」や、穏やかで優しい風土が調和した服を作っている「アーティジャングル」など、南相馬でものづくりに取り組んでいる人が大勢います。
(※この日、高橋さんが身につけているピアスはMIMORONE(みもろね)、カーディガンはアーティジャングルの商品です)
有機農業をやっていた人たちが土地を取り戻すため「油菜ちゃん」という菜種油を誕生させた話など、小さいながらも新しい動きが出てきています。
メディアは「南相馬の食べ物を3割の人が食べない」と報じますが、なぜ「7割の人が食べている」とは報道しないのか。南相馬でがんばっている姿、商品、取り組みを見て「小高に行きたくなった」と思うことが支援だと高橋さんは言います。地元の人たちと語り合い、声を聞いてほしい。その中でお金が循環することを感じてほしいと。
あれから7年。これからも。
高橋さんは震災後、一人の思いは社会に影響することを知りました。語り合うことでさざ波のように広がることを。自分の言葉が瞬時に反映されていくことを実感したと語ります。
福島県内の中小企業の経営者たちの約半数が、「人生観が変わった」と言います。中でも当事者になった南相馬市の経営者たちは、全員人生観が変わりました。競争に勝ったり、売り上げをあげることは結果的についてくるものであり、仕事は自分にとってかけがえのないものだと気づいたそうです。
高橋さんは、人と人が、心がばらばらにならないように取り組んでこられました。聞かせていただいた話をどう受け止め、他の方に伝えるか。そして、これからどこへ向かっていくべきか、一人ひとりが考えなくてはならないと感じます。
【イベント報告】
シャンティ国際ボランティア会
広報課 広報担当 召田安宏
人々が心穏やかに過ごせるように
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