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2021.12.27
開催報告

【開催報告】設立40周年イベント 「人道危機にどう向き合うか~40年を迎え、問われるNGOの支援と可能性~」

イベントレポート
周年

2021年12月10日に設立40周年を迎えたのを記念し、オンラインイベント「人道危機にどう向き合うか~40年を迎え、問われるNGOの支援と可能性~」を開催しました。

 

ご挨拶(会長 若林恭英)

会長挨拶

シャンティ国際ボランティア会は、カンボジア難民をきっかけとして、設立40周年を迎えることとなりました。この間、多くの方々にご支援、ご加担をいただきながら、アジア各国で教育文化支援を展開して参りました。

たまたまこの節目の年にアフガニスタン、ミャンマーにおいて劇的な政変が起こり、国内情勢は混乱を極めています。こうした時、常に大きなしわ寄せをこうむるのは弱い立場の女性と子どもたちです。人は衣食住が安定してこそ未来に希望をつなぐことができるのですが、そのどれもが欠乏し、寒空に投げ出された人々の悲嘆、絶望感は想像することすらできません。シャンティは、こうした人々にたとえ少しでも希望の光を届けられるよう、シャンティとして今までの経験をもとに緊急支援活動を継続して行く所存です。

設立41年目に入るにあたり、シャンティ先達の平和への想いを改めてかみしめ、活動地の人々と「共に生き、共に学ぶ」活動を皆さんとともに継続していきたいと念願しております。

最後に、今までのご支援ご加担に感謝申し上げ、今後も見守っていただきますようにお願い申し上げます。

 

シャンティ宣言(副会長 三部義道)

シャンティ宣言

シャンティの前身である曹洞宗ボランティア会は、世田谷区上馬の私のアパートの一室から生まれたと思っています。それから40年、これまで続いてきたこと自体が不思議です。

初代会長松永然道師はこう言っていました。「我々の活動は、この会がなくなるためにやっているんだ」と。これは、「この世界から戦争や紛争、難民や災害がなくなり、NGOなど必要のない社会を目指して活動している」という意味です。

しかし、残念ながら、そういう社会は未だ実現できていません。だとするならば、我々は活動をやめるわけにはいきません。今後とも「触媒」としての存在が必要な場所に身を置き、その人自身が立ち上がる意欲の湧いてくるまで寄り添っていきたいと思います。

 

シャンティ宣言

NGOの道は獣道を行くのに似ている。シャンティ発展の礎となり中心となった先達、故有馬実成氏はこう語った。インドシナ難民の支援活動から始まった我々の道程は、文字通り、道なき道を行くのに等しかった。お金も知識も技術もない、ずぶの素人集団による手探りの歩みだった。「苦しむ人々を座視できない」「子どもの笑顔こそ未来の希望」―。そんな思いで活動を続けてきた我々は、むしろ、数多くの人々に支えられ、助けられ、学んだのは我々自身だったことに気づかされた。

<シャンティ>―平和・寂静―。

我々の願いがここに込められている。あらゆる民族や文化や立場の違いを超え、一人ひとりの人間の尊厳が尊重され、一人ひとりが主人公となり、心の平安のうちに生きる。それこそ世界の平和の基である。

時あたかも、テロの恐怖や民族間の対立などによって、混迷を深める現代世界。しかし、憎しみに対し、憎しみで応ずることによって決して平和が訪れることはない。心の平安に根ざした社会の平和―シャンティが今こそ求められている。

12月10日、この日は、1981年、シャンティが設立総会を開催した日。すなわち、我々がその志と願いを高らかに宣言し、お互いの連帯と協働を誓い合った日である。この日を我々シャンティの原点回帰の時としよう。そして、我々の志と願いを高め合い、お互いの絆をさらに強く結び、さらなる道程へと新たな一歩を踏み出そうではないか。

<自らを変え、社会を変える><共に生き共に学ぶ>

一人の傑出した覚者や為政者が世界を導く時代は終わった。一人ひとりの平凡な市民が覚醒し、立ち上がり、手をつなぎ、世界を動かす時が来た。

 

どのようにしてシャンティが立ち上がったのか(手束耕治専門アドバイザー)

シャンティ立ち上がり

シャンティの活動はカンボジア難民との衝撃的な出会いによって始まります。その思いは大きな苦しみの闇の中に灯されたロウソクのように、一つまた一つと受け継がれ、拡がってきたように思います。

1979年、虐殺政権といわれたカンボジアのポル・ポト政権が崩壊し、戦火を逃れてタイ国境に数十万人の難民が押し寄せました。そのあまりに悲惨な状況に世界中から救援の手が差し伸べられましたが、お金は出しても人を出さない日本に批判が起こります。シャンティの前身である「曹洞宗東南アジア難民救済会議(略称JSRC)」は1980年1月に設立され、活動を開始しますが、曹洞宗はその状況視察のために前年の79年12月末、42年前にタイ国境のカンボジア難民キャンプに視察団を派遣しました。

しかし、そこで見た光景は想像を絶するものでした。「難民キャンプに地獄を見た」有馬さんはその時のことをこのように伝えています。

「そこで見た光景は、生涯忘れることができません。まさに地獄絵でした…この人たちの目は何という目であろうか。人の心まで凍らせてしまうような目です。悲しみといった感情すらも失った、虚ろな目。地獄を見てしまったら、人はこんなになるに違いありません。目の前で肉親が虫けらのように虐殺され、飢えで次々に死んでゆく…人間として見てはならぬものを見、体験してはならない体験をしてしまった人たち。この人たちに私たちは何ができるというのだろうか。」

その日、有馬さんはキャンプで一人の少年に会います。

「名前はランソンと言います。10歳です。父親は撲殺され、母親は国境を逃げる途中ではぐれましたが、銃弾に当たって死んだのを目撃した人がいると言います。どういうわけか、私の後を付いて歩くのです。聞けば、殺された父親に私がよく似ていると言うのです。一緒に歩いていると、ランソンは遠慮がちにそっと私の手に触れてくるのです。その顔を見ると、下から見上げながらにこっと笑いかけてくるではないですか。その笑顔の美しかったことといったらありません。そして、その笑顔で私の心は救われました。」

地獄絵のような難民キャンプの中で、ランソン君の笑顔に救われた有馬さんは考えました。

「子どもは、未来への希望の象徴です。もし、子どもたちが、この難民キャンプで元気に遊び、元気な声を響かせるようになれば、大人たちも明るい表情を回復するに違いありません。今、ここで必要な援助は、食料と医薬品です。けれども、それを調達する能力は私たちにありません。人々が少しずつ健康を回復したときに必ず必要になってくる精神的な援助を行えるように、私たちは今からそれに取りかかろうと、そう思ったのです。」これがシャンティの活動の原点です。ここから子どもたちのための教育文化活動である図書館活動と印刷出版活動が始まります。

曹洞宗第1次調査団の提言から、移動図書館活動を開始する方針が打ち出されました。翌年2月にはワゴン車を発注し、3月からは移動図書館用の図書を印刷する2週間の短期ボランティアを続々と派遣しました。そして、7月31日に移動図書館車が初めてサケオ難民キャンプに入ると子どもたちが広場に集まって来ます。

生まれて初めて手にする絵本をむさぼるように大声で読む姿を見て、視察団の無著成恭先生は、「まるで蚕が桑の葉をバリバリと音を立てて食べているようだ」と感じたそうです。その後、サケオ、そしてカオイダンにも常設図書館が開設され、多くの子どもたちが来るようになりますが、一つ問題が発生します。図書の紛失です。

「ある日、絵本を盗んだ女性を見つけ、絵本を返してもらったのですが、その女性の話には泣かされました。」

「私はまもなくオーストラリアへ行き定住するのですが、オーストラリアではカンボジア語の本など手に入らないに違いありません。自分には子どもがいますが、その子どもたちは間もなくカンボジア語を忘れてしまうでしょう。でもこの子どもたちは間違いなくカンボジア人なのです。カンボジア語を忘れたカンボジア人っているのでしょうか。絵本を見ているうちにどうしてもこの1冊だけでもオーストラリアへ持ってゆきたくなったのです。これがカンボジアの言葉だと教えてやりたかったのです。カンボジア人であることの証、アイデンティティとしてこの絵本が欲しかったのです。」

1冊の絵本の持つ深い意味を私たちは学びました。有馬さんは、「難民問題の本質は人間の尊厳と民族のアイデンティティをどのようにして守るかという点にある」と述べています。

私は1984年にシャンティに加わり、カオイダン難民キャンプでユースプログラムを担当しました。そこでは、青少年向けにテコンドウや体操などのスポーツ、縫製やラジオ修理などの職業訓練、伝統音楽・舞踊、絵画、彫刻などの芸術、そして図書館活動などを行っていました。そこで文化の大切さに気付かされました。

クメール伝統舞踊教室では、ポル・ポト政権下で9割の芸術家が殺された中で、生き残った芸大の先生が粗末な衣装や設備にもかかわらず、子どもたちにクメールの伝統舞踊を厳しく教え、子どもたちはそれを受け継ごうと一生懸命頑張っていました。その姿に圧倒され、文化の大切さに気付かされました。この中の一人の子はその後日本に定住し、今カンボジアの子どもたちにクメール舞踊を教えています。その他にもシャンティは難民の女性によるキャンプでカンボジアの伝統的な素焼きの壺などを作る焼き物教室も開いていました。さらに、キャンプに開設した印刷センターでは難民の人々によって多くの図書が出版され、視察に訪れた国連事務総長やユネスコ事務局長から「世界最大のカンボジア語図書出版センター」と称賛されました。このように難民キャンプのシャンティの活動は難民の人々によって実施されていました。

有馬さんは、こう言われました。

「安全地帯にいる人々に難民の痛みが本当に分かるのでしょうか?痛みの分からない人間に自立への援助など本当に可能なのでしょうか?難民を救うことができるのは難民自身なのです。難民が自立できるのは、難民自身が本来持っている能力によってなのです。ボランティアはここを勘違いしてはなりません。ボランティアは触媒なのです。」

シャンティは教育文化活動として難民キャンプやその周辺のタイの小学校で図書館活動を行っていましたが、「お話し」の素晴らしさ、重要性に目覚めたのは、“おはなしキャラバン”との出会いがあったからだと思います。

1984年の年末におはなしキャラバンの皆さんがバンコクのスラム、難民キャンプ、東北タイを回って移動図書館活動をしてくださいました。その時のカオイダン難民キャンプでの石竹先生の「お話し」の情景を今でも忘れることができません。

その時キャンプは数日前から始まった国境の反政府ゲリラを掃討するためのベトナム軍の大攻勢で、昼も夜も休むことなく大砲の轟音が聞こえました。国境からわずか数キロの所にあるカオイダンからは砲撃を受けて燃える村の黒煙も見え、人々は非常に緊張していました。

そんな状況の中、500人ほども入る竹小屋で石竹先生が大きなスクリーンに絵本の映像を見せながら、日本語で「お話し」が始まりました。すると、子どもたちも大人も全身で「お話し」に聞き入っているではありませんか!外の砲声など全く聞こえないかのように!「お話し」に没入し、「お話し」の世界がそこに現れたのです。「お話し」の素晴らしさ、凄さを実感した瞬間でした。その後、難民キャンプやスラムで「お話し」を中心とした図書館活動が始まりました。

1984年には貧しいタイ農村で教育開発支援活動を本格的に開始し、これを支援するために国内でこれまでの「絵本を届ける運動」に加えて、謄写版寄贈運動が全国のお寺を中心に呼びかけられました。さらに日本への問題提起として、地方の貧困や社会の不条理に挑む教師を描いて、タイで空前の大ヒットとなった「田舎の教師」を日本ユニセフ協会と協力して、全国各地で上映キャンペーンを行い、文庫寄贈などの新しい支援者が生まれました。

この謄写版寄贈運動は1984年に始まる「慈愛の衣類を送る運動」に継承され、93年まで続きました。多くのボランティアが心を込めてきれいに洗濯し、分類された古着は難民の方々、関係者にも大変喜ばれました。難民は「かわいそうな人」から互いに助け合うべき存在へと変わり、「同情」から「関わり」へと一歩進んだ活動に発展して行きました。

有馬さんは、難民問題は「かわいそうな人」の問題なのではなく、支援して行くのは国際社会の義務であり、日本にもその役割が求められる。絵本を贈る運動のように、誰もが参加しやすい国内の支援運動を通して難民問題等への理解を促し、組織の賛同者を増やすことが重要であると考えていました。

そして、人間の尊厳を大切にしてゆくという観点から、難民キャンプだけではなく、タイの農村や都市スラム等の貧困問題への本格的な取り組みが始まります。1984年、スリン県バンサワイ村の自宅に村民図書館が誕生します。バンコクでは“おはなしキャラバン”の公演をきっかけにスラムを巡回する「クロントイキャラバン」が生まれます。そして、巡回先のスラム調査から事務所に近いスアンプル―スラムの住民図書館活動が始まりました。

一方、難民キャンプの活動はカンボジア難民キャンプの教育文化活動が評価され、新たに東北タイのメコン川沿いのバンビナイ・ラオス難民キャンプで印刷出版活動が1985年2月にはじまり、5月には“おはなしキャラバン”から安井さんが派遣され、子ども図書館活動が始まります。12月にはタイのコンケーン大学による図書館研修会が開催され、メコン川沿いのタイの小学校への巡回図書館活動が始まりました。

そして、1989年ベルリンの壁の崩壊、東西冷戦の終結とともに、カンボジアにも和平の足音が聞こえるようになった1991年、シャンティは印刷出版活動を始めに図書館活動や学校建設活動などカンボジア国内の教育文化支援活動を開始しました。

移動図書館活動でプノンペン郊外のダイアット小学校を訪問した時の事を思い出します。スタッフが絵本の読み聞かせを始めると、生まれて初めて接した子どもたちは目を輝かして聞き入っています。その姿に感動した一人の先生から、カンボジアの図書館活動は始まり、全国に広がってゆきました。子どもたちが変われば、先生が変わる。そして学校が変わるのです。

シャンティの教育文化活動はそれぞれの地域の特色を生かして、その後ラオス国内やミャンマー難民キャンプに拡がり、さらにアフガニスタン、ミャンマー国内、ネパールの活動へと受け継がれています。今では各国のスタッフがシャンティのモットーである「共に生き、共に学ぶ」姿勢を大切にして、ともにシャンティ(平和)な社会の実現に向けて地道な活動を続けてくれることは大変うれしく、また心強いことと思います。

このようにしてはじまったシャンティの活動は現在、7カ国8地域に広がっています。「共に生き、共に学ぶ姿勢」を大切に、本を通した教育文化支援活動、国内外の災害や紛争後の緊急人道支援を行っています。

 

第1部トークセッション「人道危機にどう向き合うか~ミャンマー、アフガニスタンの今~」

英里さん、藤谷さんセッション

藤谷 健 様:

1987年に朝日新聞社に入社。国内支局を経験したのち国際報道部に所属し、イタリア・ローマ支局、インドネシアのジャカルタ支局、バンコクのアジア総局では総局長を務める。現在はデジタル機動報道 部長兼ジャーナリスト学校 デジタル推進担当 部長。

山本 英里:

シャンティ国際ボランティア会事務局長 兼 アフガニスタン事務所所長。

 

2021年の大きな変化① ミャンマー

ミャンマーでは2011年に民主化が始まりその後、アウンサンスー・チー氏率いる政党が政権を握って以降、民主国家を目指して経済発展、社会インフラ整備が進んでいました。しかし、急激な変化に対して異を唱える勢力との間で軋轢が生じる中、2月1日未明、ミャンマー国軍によるクーデターが発生しました。国軍は、アウンサンスー・チー氏をはじめ、議員含む100人以上を拘束しました。非常事態宣言が発出され、軍部が全権を掌握しました。

クーデター発生後、2月7日には最初にヤンゴンの医療従事者を中心に抗議デモが起こり、その後政府機関の職員、医療機関、工場、銀行、大学から、全国へ広がりました。

国軍はロケット砲や銃弾を用いて市民への弾圧を開始。それに対して市民は打ち上げ花火で応戦するなど、衝突が激しくなり、12月06日時点で1,300名以上の方が命を落とされました。

4月16日、昨年の選挙で選ばれた有志議員が国民統一政府を設立し、正式な政府として認めるようにアセアン各国に対して要求しています。しかし、国軍側はテロ組織として指定し、逮捕状を出すなど強硬姿勢を貫いています。

シャンティの活動地への影響

公立学校はコロナの影響により昨年6月から休校が続いていました。今年の11月から学校も再開しましたが、生徒の出席率は2割程度。安全面の懸念から登校させたくない保護者や不服従運動のため登校しないことを貫く市民が大勢います。教員も抗議運動への参加を続けており、全国で15万人が解雇され、学校に戻っていない状況です。

シャンティはミャンマー国内にヤンゴン、バゴー地域のピー、カレン州の3か所事務所を開設しています。ピー事務所があるバゴー地域では3つの活動を行っていました。小学校建設、人材育成研修や図書館の設置、移動図書館活動を含めた図書館活動、絵本出版です。小学校建設と絵本出版は現在中止、図書館事業は規模を縮小せざるを得ない状況です。事務所の縮小もせざるを得ませんでした。

カレン州の状況

タイと国境を接するカレン州では、3月27日の国軍記念日以降、ミャンマー国軍機による空爆があり、カレン民族だけではなく、カレニー、カチンなどの少数民族が国軍による攻撃の対象となっています。この戦闘により、25万人以上が国内避難民となっています。

これまで、和平協定を各民族と中央政府が結んで、難民の帰還の動きもあり、民主化の動きから10年経、教育分野でようやく少しずつ成果を実感できつつあった矢先のでき事で、職員もショックを受けています。出口が見えない状況が続いています。

 

2021年の大きな変化② アフガニスタン

アフガニスタンは、9.11から20年、汚職や治安の悪化、生活が良くなるかわからないまま市民生活が続いていました。国民の半数から8割が貧困状態にあり、国際社会への強い不信感が溜まっていました。

今年4月、アメリカのバイデン大統領が9月11日までに米軍の撤退することを発表しました。5月、タリバンが全国で国軍への攻撃を開始。7月には全国3分の1の郡を掌握しました。

8月6日、ニムルーズ州の州都が陥落。これをきっかけに主要都市が次々と陥落。8月15日首都カブールを包囲し、実質全土を制圧。8月16日早朝には、大統領府で勝利宣言を行いました。タリバンはわずか10日間で全土を支配下に置きました。米軍が去るというのはみな知っていましたが、これほどまでのスピードで政権交代が行われるとはまったく思っていませんでした。

現地職員たちの当時の様子

8月15日午前中、職員が会議をしている時、職員の家族から職員へタリバンがカブールに迫っているとの情報が入りました。みんなパニックになり、緊急避難を開始しました。職員は自宅待機にし、事業は一時停止の指示を出しました。アフガニスタンに2か所ある事務所は一旦閉鎖し、職員には在宅勤務するように伝えました。

直後はなかなか連絡が取れず、仮につながったとしてもこちらから連絡をするということが安全なのかわからなかったため連絡が取りづらい状況でした。その後、SNSのサービスを利用し、何とか全員とつながることができ、無事を確認しました。制圧直後の夜は、祝砲が鳴り響き、子どもたちの泣き叫ぶ声が響き、家族を守ろうと玄関口で一晩中過ごす職員もいました。夜中にずっとSNSを通して無事を確認するやり取りをしていました。

活動への影響

アフガニスタンではこれまで学校や図書館の建設、教員などへの研修、子ども図書館の運営、絵本出版を行っていました。8月16日以降、安全確保のため活動を全て一時中断しました。その後、8月末から小学校の再開が認められ、女性教員の就業も一定の条件下において認められています。学校再開を受けて、当会でも事業再開の模索を行っていました。その後、暫定政権と口頭で調整を行い、活動開始の合意を取得することができました。10月から子ども図書館を再開するなど、少しずつ事業を行っています。

高等教育の再開の見通しは立っておらず、女性教員も仕事を続けられるのかわかりません。NGOの女性職員も安全に勤務を継続できるのかわからない状況ですが、それでも活動を続けていきたいということで、少しずつ社会参加する女性の姿が見られるようになってきました。慎重に状況を見ながら対応していくことが必要となっています。

 

「その時どうしていたのか~現地からの声~」

ヤンナイさん、ミャンマークーデター後の様子

クーデター以降の生活における変化 ミャンマー(ミャンマー事務所ヤンナイ職員)

日常生活で大変なのは、銀行からお金を引き出すときの制限です。最初の頃は少額であればお金を引き出すことができたのですが、数週間後、銀行がシステムを変更したため、全くお金を引き出すことができなくなりました。現金を引き出すためには、銀行に予約を取らなければならず、なかなか予約が取れませんでした。そのため、現金が不足してしまい、貯金で生活しなければなりませんでした。

現在も状況はあまり変わっておらず、今後どうなるかわかりません。インフレも深刻化しています。ガソリン価格は20%以上も上昇し、食品価格も上昇し続けています。毎日の食事や交通費にさらにお金をかけなければいけない状況です。社会の混乱により収入が途絶えてしまった貧しい人々も多く、人々の生活への影響は深刻です。仕事を失った方や、将来への不安を抱えている方も多い状況です。そういう方は、海外で働くための準備を進めています。

軍事政権下でも活動を続ける意思があるのか、シャンティと一緒にやっていけるのか、スタッフや所長、東京事務所と何度も話し合いました。それぞれの意見は違っていました。残念ながら、スタッフの何人かはシャンティを去りました。しかし、残されたスタッフは、「こんなときだからこそ、私たちにできること、シャンティの基本姿勢を貫くことに全力を尽くさなければならない」と語っていました。「苦難にある人々と痛みや悲しみ、喜びを分かち合い、共に歩む」というシャンティの基本姿勢に動かされて、今も奮闘しています。困難なことに直面するかもしれませんが、私たちの国の子どもたちのより良い未来のために、これからも教育支援を続けていきたいと思います。

 

アフガニスタンの当時の状況(アフガニスタン事務所女性職員)

11時頃、同僚数名はミーティングをしていましたが、私は書類作りに取り組んでいました。突然、「オフィスを出てください」という声が聞こえました。タリバンが街の中心部のすぐ近くに到着しました。私はショックでどうしたら良いかわからずにいました。庭に出てみると同僚たちがいて「慌てるな、俺たちがついてるから、大丈夫だよ」と言ってくれました。その時、この言葉にどれほど救われたか。ああ、私は一人ではない。同僚たちがこの困難な時期に私と一緒にいてくれることをとても心強く感じました。

アフガニスタンの女性たちが置かれた状況

タリバンはスピーチを通して女性の権利を保証していますが、実際にはまだその状況は見られていません。もし、国際社会がいくつかの条件で支援してくれれば、その効果は絶大なものになると思いますし、女性たちが再びアフガニスタン社会の中核になれると思います。

ご存知のように、アフガニスタンの人口は増え続けており、タリバンが来る前は、約 1,000 万人の学生がいて学校に通いっていました。そのうちの60%は女の子でした。私たちは、アフガニスタンの女性、少女たちが、過去20年間で獲得した全ての成果を失いたくないのです。これこそが、アフガニスタンの女性の真の声なのです

私はたくさんの女性たちの状況を見てきました。アフガン社会で良い地位を築いており、中には経済的に家族を支えている人もいました。教師、医者、エンジニアなど、知識を提供して人々を助けているという話を何度も耳にしました。でも、今は何もせずに家にいて、将来の希望もなく、その状況をとても辛く思います。私は、この国をより良くするために、子供や女性の教育支援を続けたいと思います。

現在の状況(アフガニスタン事務所男性職員)

干ばつや新型コロナウイルス、アメリカの撤退、国際援助の減少により、非常に悪化しています。国の経済は落ち込んでおり、何百万人もの人々がタリバン以降、仕事を失い、給料を受け取っていません 。人口の85%が食料危機と貧困に苦しんでいます。教育を受けた人々のほとんどが他国に避難し、国内避難民の数は増加し、シェルターすらない空き地に住んでいます。犯罪やテロ活動は減少していますが、ISとタリバンの紛争は続いています。国際社会が解決策を見いだせず、国際的な支援が人々に届かなければ、近い将来、内戦が始まり、何百万人ものアフガニスタン人が国を離れることになるかもしれません。

幸いなことに、現在の状況を変える大きなチャンスはまだあります。なぜなら、タリバンは外交関係を開始する準備ができており、世界に呼びかけています。汚職や軍閥の司令官はアフガニスタンにはもう存在しません。旧政権では60%しか管轄できていませんでしたが、タリバンは現在アフガニスタン全土の土地を100%管理しています。もし、世界が人道支援を続け、タリバンの人材育成などをサポートするなら、いつの日かタリバンが考えを変え、人間の尊厳を尊重し、国を発展させると信じています。

私は、日本国民と日本政府が現在の状況の中で、重要な役割を果たすことができると確信しています。アフガニスタン人は皆、日本が友人の国であると信じており、過去20年間、日本はアフガニスタンのインフラ、人道支援のためだけに支援を継続してきました。現在のアフガニスタンの危機的状況の中で、皆さんが姉妹や兄弟を忘れないことを願っています。

現在の危機的な状況の中で、私と私のアフガニスタン人の同僚は、シャンティの活動を通じて、最も弱い立場にあるアフガニスタンの人々に開発プロジェクトや人道支援を提供したいと考えています。

 

「人道危機にどう向き合うのか」

緊急事態発生時の東京事務所(山本)

まずは、職員の安全の確保を最優先し、所内でタスクを結成し対応に当たりました。両国ともこれまでの活動成果がやっと見えてきた矢先の出来事でした。個人としての思い、就任してまだ浅い事務局長という立場での思いが交差し、優先すべきことは何か答えが見えない間に次の問題が降りかかってくる日々でした。命の選別を迫られているかのような状況に、無力感にさいなまれる事もありました。

一つ反省していることがあります。20年前にアフガニスタンで人が死んだとき以外は泣くな、泣くなら帰れと言われたことがあって、それ以来絶対にちょっとのことでくじけないと誓って20年間やってきました。ただ、今回は、ミャンマー、アフガニスタン両事務所の職員の前で、どうしても涙を抑えることができませんでした。一番辛く悔しいのは、現場で頑張ってきた所長をはじめとした職員たちの方なのに、と後から自分の未熟さを反省しました。その時に命のリスクさえある彼らに逆に励まされたことで、絶対に諦めない、やれることは何でもやろうと思いました。そのために職員にも負担がいってしまったことは申し訳ないと思っています。

緊急状況における東京事務所の役割

私たちの活動は、現場と東京事務所との両輪で動いています。全体の状況把握、安全確保の指示、役員への状況共有や決議などを得ながら進めます。いつも心がけているのは、決して東京側だけで判断するのではなく、現地事務所、職員と協議を重ねて、正解がない状況の中、その時のベストを見つけ出すこと。これがシャンティのやり方なのだと思っています。

緊急時においても現地に日本人職員が居続ける意味

現地の職員は当事者でもあります。そこに客観的な立場で判断ができる日本人職員を派遣することで対応力が高まると思っています。しかし、日本人が滞在し続けることでリスクが高まるケースもあります。状況を見ながら残留、あるいは退避など判断しています。

現地に入ることができない難しさ

シャンティの場合、現地に入って活動することを大切にしています。例えば、自然災害などでは現地に入ることができていますが、今回のような政変、アフガニスタンのような治安悪化や、昨年からのコロナ感染拡大により日本人を派遣することが難しくなっています。

日本人職員の派遣については各地で難しい状況が続いています。例えば、アフガニスタンでは日本人の渡航も制限されていますが、隣国で会議を定期的に開催するなど工夫を重ねています。一方、どうしても一定のリスクを負ってやらなければならない状況も時にはあります。そういったときには、支援の必要性、タイミングなどを見ながら考えなければならない難しさはあります

予測しえない人道危機にNGOとしてどう備えるか

今回のミャンマーやアフガニスタンのことを受けて、改めて重要だと思ったのは、組織の中での採るべきリスクの許容範囲と支援継続に対する方針を明確に持っていること、それを実現させるための行動計画などを準備していくことの必要性、特に職員のメンタルヘルスへの対応です。常にそういった準備を超える状況があることを念頭において、柔軟に対応できる組織であることが重要だと感じました。

 

第2部トークセッション「問われるNGOの支援と可能性」

ファシリテーター:菊池礼乃(事業サポート課課長)

テーマ①「危機下における図書館の可能性」

セイラーさん、カインさん、現状と活動

2021年2月ミャンマークーデター後から現在の様子(ミャンマーカレン州)

クーデター後のミャンマーでは、常に状況がコントロールされています。パアンでは、デモはなく人々の日常生活は通常通りに戻っているようですが、市街地では爆発事件が頻発しています。活動地域では、クーデター後、軍が頻繁にやってきて、地元の人々に質問をし、人々はミャンマー軍を恐れ、家の中に隠れていました。学校は閉鎖されてしまいました。今は大丈夫なようですが、学校に通っている子どもたちの数はわずかです。

2021年2月ミャンマークーデター後から現在の様子(タイ側ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ)

今年のクーデター以降、3,000人以上がタイ側に逃れてきましたが、タイ政府は受け入れず強制送還させました。これを受けて国境の警備が厳しくなり、タイ軍とミャンマー軍が国境を挟んでにらみ合う場面もありました。一方、ミャンマー側では国内避難民がジャングルの中に逃れ何とか身を隠しながら生活していると聞いています。生活苦から国境を越え、非合法でタイ側に逃れる人がいると他の団体からも聞いています。難民キャンプでは、コロナの影響もあり、長く人の出入りが制限されています。新しい難民の受け入れはしておらず、これまで暮らしていた難民の方々が今も9万人ほど暮らしています。

クーデターの話は難民キャンプの中でも広がり、より一層、ミャンマー軍への不信感、怒り、憤りが募っています。これまで少しずつ進んできた本国への帰還は、クーデターをきっかけに遠のきました。

 

シャンティの活動

タイには9つの難民キャンプがあります。37年前から難民キャンプが存在し、今も9万人以上の方が暮らしています。シャンティは2000年より、難民キャンプ内でコミュニティ図書館を運営支援してきました。

難民キャンプの中は電気がなく、インターネットへのアクセスも制限されています。外の世界の情報を得る手段が少ない中、図書館は難民の方たちの拠り所となっています。

2016年より、難民キャンプからミャンマー本国への自主的本国帰還が始まりました。これを受けて、シャンティは2019年より、ミャンマーのカレン州で活動を開始しました。

現在実施している活動(ミャンマーカレン州)

2019年からタイとの国境に近い村で、難民キャンプから戻った方たちと元々その村で暮らしていた住民の人たちが利用できる生涯学習施設として、コミュニティリソースセンター(CRC)を建設しました。図書館が併設された施設では、子どもたちへの読み聞かせ、歌や自由読書の時間を設けています。今年で2年目を迎えたCRCでは、利用者も徐々に定着し、学校帰りに子どもたちが立ち寄る姿も見られます。

現在実施している活動(ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ)

7か所の難民キャンプで15館のコミュニティ図書館を運営しています。古い図書館は、開館から20年が経過しました。難民キャンプに図書館は欠かせない存在になっています。コロナ感染対策を行いながら、子どもたちの居場所である図書館を守ることが、今最も必要なことです。

 

長期化する危機下における図書館活動の可能性、NGOだからこそできること

カイン職員(ミャンマーカレン州パアン事務所):

クーデター後、人々の日常生活、仕事、移動、学校運営はより困難になりました。しかし、コミュニティリソースセンターの活動は、すべての人々に教育と知識の源を提供する唯一の場所であると言えます。

以前、私たちの活動で働いていたある女性、デーデーさんは以前、タイの難民キャンプに滞在しており、キャンプ内の図書館を訪れていました。彼女は、「本を読む習慣をつけると、考え方が良い方向に変わり、物事の良し悪しを判断できるようになる」と言っています。

2016年、彼女は家族とともにミャンマーに戻ることを決意しました。彼女はこのように話してくれました。「近年、人々は外部からの成長や権力を求めて、比較したり競争したりしています。私たち大人は、自分の内面の成長を大切にして、子どもたちの良いお手本になる必要があります。私はこの考え方をシャンティの図書館から学びました。」

このお話を通して、図書館は教育を提供する場所であるだけでなく、どんな環境でも心を育む力を持っていると感じました。現状では、子どもたちは安全な学習の場を得られず、学習を継続する機会も失われています。子どもたちとその未来のために、このギャップを埋めるのが図書館の支援だと思います。

ミャンマーには複雑な政治的背景があり、NGOが国境地域で活動するのは難しい場合があります。活動を行う際には、お互いに危害を加えたり衝突したりしないように、常に耳を傾けて情報を収集する必要があります。困難な状況下でも、緊急のニーズに対応し、小さくても必要な支援を行うことができるのがNGOだと感じています。これこそが、NGOが人々のためにできることだと強く信じています。

 

セイラー職員(ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ事業事務所):

ミャンマーに戻って新しい生活を始めようと希望を持っていた若者がたくさんいましたが、状況は変わってしまいました。長引く危機はさらに続くでしょう。

私は20年以上、シャンティと共に難民キャンプで働いてきました。政治の動きに翻弄され逃れた人たちにとって難民キャンプでの生活は命を守り、戦闘によって傷ついた心を回復させられる唯一の場所です。難民キャンプでの暮らしはタイ軍の治安管理以外、全てNGOの活動で成り立っています。タイ政府は限られた国際NGOにしか活動許可を出していません。また、タイ政府は難民の人たちが働くことを許可していません。そのため、NGOがいなくなれば難民の人たちも生活することができないのです。

長期化する難民キャンプにおいては各国政府の支援が続かず活動資金が集められずに撤退、あるいは規模を縮小して活動する団体もありました。しかし、難民の人たちが暮らしている限り、生活を支えることができるのはNGOの他にありません。

難民キャンプの図書館は、複雑な背景を持つ難民の人たちにとって欠かせない居場所となっています。子どもたちにとっては安心して過ごせる場所、大人にとっても不安な日々の中で安らげる場所になっています。

私たちはそのような場所を作ろうと、この20年間難民の人たちと一緒に活動を行ってきました。このような危機下においてはますます人々が不安を感じています。本を読むことで精神的な安定を得ることができます。読み聞かせを通して人と信頼関係を築くこともできます。また、図書館は情報を集約し、発信する役割も持っています。限られた情報しか入手できない難民キャンプでは、図書館で知る外の世界の情報が彼らの人生の選択においても影響を与えています。

「コミュニティ図書館は、教育の機会を提供するだけでなく、誰にとってもリラックスできる癒しの場である。」ヌポキャンプ図書館委員トゥン・トゥンさんの言葉です。

ここで活動している仲間たちは、厳しい状況の中でも、シャンティのスローガンにあるように、難民の人たちとともに生き、共に学んでいく気持ちでいます。ぜひ日本の皆さんには難民キャンプのことを忘れないで頂き、これからも応援頂きたいと思います。

 

菊池:

長期化する危機下にある人々が、コミュニティリソースセンターや図書館という居場所を通じて、不安定な外部環境の中にありながらも、安心を覚え、情報を得、学ぶことができています。何より、日々住民と向き合っている図書館活動に関わる職員や関係者が、図書館がもつ力を理解し、図書館が単に教育提供の場だけでなく、心を育む場所、内面を成長させる場所、癒しの場所である、そう語ってくれたことに、感銘を受けました。シャンティが目指してきた、「図書の活動を通じて、人びとの生きる力を養い、自分の道、未来への道を切り拓いていくこと」、シャンティのスローガン「本の力を生きる力に」につながっていると思いました。紛争下で厳しい環境に置かれている人びと、特に子どもたちが将来、自分の人生を選択し判断していくためのベースとなる力が図書館活動の中で養われていると思い、シャンティが現地の人々とともに、そうした機会を今後も確保していくことが大切であると思いました。

 

テーマ②「コロナ2年目の活動現場~各国の対策はどう進んでいるのか~」

新型コロナウイルスという未曽有の状況に対してどのような対応が必要だったのか

カンボジア事務所(サイハー職員):

サイハーさん、現状

カンボジアでもコロナ禍が続いています。3月以降、全国の学校が閉鎖され、子どもたちは学校で勉強をする機会を失いました。マスク使用、手洗いなどが奨励されていますが、その実践は限られています。11月現在、 人口の91%が、ワクチン2回接種を完了し、現在は、感染対策を取りながら、学校を含むほぼすべての施設が完全に再開されています。

4月、首都プノンペンがロックダウンし、建物、道路、地区それぞれが閉鎖されました。5月に全面的な封鎖は解除されましたが、感染が深刻な一部地域では、感染者が減少するまで厳しい封鎖が続きました。特に、現金入手が困難になり、食料不足の問題が発生しました。

7月から8月、シャンティのフィールド事務所があるバッタンバンでも、タイ国境沿いの地域が封鎖されました。ロックダウンの時は州内の市場、飲食店、娯楽施設、学校などすべてが閉鎖されました。

学校閉鎖の期間中、児童は自宅や木陰で、少人数グループでのオンライン学習や教師が準備したワークシートを使った学習を継続しました。しかし、農村部では、インターネットの問題などがあり、主に自習活動だけが継続される状況でした。貧しい家庭では、農作業などで、自習自体の継続もできない子どもたちもいました。

11月から、教室内での感染対策を徹底することで学校が再開されました。教育省は、各教室の収容人数を20人までとして授業を再開し、それ以外は、オンライン学習や自習活動を継続することになっています。

コミュニティ学習センターの利用者も大幅に減少しました。センターの運営委員会は、石鹸やアルコールを用意し、利用者に適したスペースを確保するなど、施設環境を整えるように努めています。現在は以前のようにサービスを利用できることを、利用者に積極的に働きかけています。

コロナ禍の活動の一環として、学校環境改善活動を実施しています。マスク、アルコール、体温計などを緊急的に学校に配布しています。これらの物資は短期間しか使用できないため、定期調達を念頭に学校予算割り当てを目指し、地域社会からの寄付を募る手法などを先生方やPTAに紹介しています。

また、子どもたちがネットで絵本にアクセスできるよう、カンボジア事務所の出版物による電子図書館サイトを開設しています。サイトには、読み聞かせビデオもアップロードし、閲覧できる絵本を継続的に増やしています。

 

ラオス事務所(オイ職員):

オイさん、現状

ラオスでは今年、昨年よりもの多く人々が新型コロナウイルスに感染し、国中のすべての県に感染が広がっています。この大流行の主な原因は、海外に出稼ぎに行っていた労働者が持ち込んだり、しっかりとした感染対策措置を取っていなかった人が見られたりしたことなどで、家庭や事務所内、様々なイベントなどを通して拡大してしまいました。

ラオス政府は感染拡大を防ぐために、4月と10月に国全体でのロックダウンを発表し、その他の時期にも厳しい対処措置を取っています。ロックダウン中には、会社、学校、工場、お店、レストランなどが一時的に閉鎖されました。 政府は問題解決に向けて、感染者やその疑いのある人の隔離場所の設置、感染者の治療、全国の人々へのワクチン接種などを行っています。現在のワクチン接種者は、1回目の終了者が56%、2回目の終了者は44%です。

人々は通常通り働くことができなくなり、生活が困難になっています。学校は定期的に開かれておらず、一部の学校はオンラインで授業を行っていますが、インターネットにアクセスできない地方の子どもたちは勉強を続ける事ができていません。

シャンティの活動も、新型コロナの影響を受けました。プロジェクト対象地域に新型コロナ感染者が発生したため、計画に基づいて活動を行うことが困難となり、活動を延期せざるをえない状況です。一方、コロナ感染対策のための追加の活動も実施しました。例えば、学校における移動図書館活動の一環として衛生教育を実施し、児童に感染予防のために手を洗うことの重要性を伝えています。行政機関との会議はオンラインで実施し、事務所職員も交代で在宅勤務を行っています。

 

ネパール事務所(ビノッド職員):

ビノッドさん、現状

今年のロックダウンは4月末に始まりました。普段は車が多く、混雑している街中に車や人が全く通っていない状態が続きました。7月初旬にピークをむかえ、酸素ボンベが病院で足りなくなり、多くの病院が工業用のものを買って患者さんの吸入に使っていました。その後、ロックダウンは徐々に緩和され、8月下旬に首都カトマンズでは終了しました。現在はすべて平常の状態になっており、学校も10月から再開されています。

ネパール事務所では、3つのコロナ禍緊急支援事業を行いました。①コロナ重症者の集中治療のための病院への医療機器の提供をしました。4つの病院に人工呼吸器などの重症者用の医療機器を提供しました。②地域学習カリキュラム事業を実施しているラクシラン村で、この村の中央病院にワクチンを保管するための冷凍庫を支援しました。③シャンティが支援する4つのコミュニティ図書館を通じて、コロナ禍のために仕事を失った生活困窮者、困難に直面している高齢者の方々1500人に食料や感染予防物資を提供しました。

 

ディスカッション 

所長ディスカッション

コロナ禍での緊急対応。どうように過ごしていたのか、どのような葛藤があったのか

加瀬所長(カンボジア事務所):

カンボジアの医療体制は脆弱なことから、ワクチン接種が進む前は特に、感染し重症化するリスクについて不安がありました。実際カンボジアの死亡率は日本よりも高い数値でしたので、自分のことだけでなく、スタッフが感染し、万が一重症化したらどうすればよいのかという不安が常に付きまとっていました。だからといって、事業を止める訳にはいきませんし、支援を必要としている人々もたくさんいますので、「不安の中でも前に進まなければならない」という両極端な思いが交錯していました。

 

玉利所長(ラオス事務所):

ラオスでは今年の後半になってから感染者が増加し、10月には私が住んでいる街でも厳しいロックダウンとなりました。その間食堂や商店も多くが閉鎖していたので、食料を確保するために朝早くからローカルの市場に行って買い物をしなければいけないのが大変でした。それまでは外食ばかりでしたが、自炊せざるを得なくなりました。

事務所の運営に関しては、その時点での感染状況や活動計画などを考慮して、全員在宅勤務にするか、ローテーションを組んで出勤するかなどを判断することが難しかったです。政府の他にも県や市が個別に出す対処措置、一般市民の反応などを考慮し、ラオス人職員との話し合いを通して決めていきました。

 

三宅所長(ネパール事務所):

ネパールもロックダウン中は朝、夕方各2時間しか外出できず、レストランがすべてしまっていたので生活は大変でした。良かったのは、車での移動が禁止されたため、普段深刻な大気汚染がなって空気がきれいになり、普段見れないヒマラヤが時々見えたことです。

残念だったのは、ネパールで初めての紙芝居制作研修を講師の紙芝居作家やべみつのりさんを招いて行う予定でしたが、コロナのために先生の渡航が叶わず、オンラインで実施せざるをえなかったことです。

 

NGOだからこそできたこと

玉利:

コロナ対策の衛生教育などは、規模は小さくとも、追加の活動を柔軟にかつ迅速に実施することができたことはNGOだからこそできたことだと思います。首都での感染が多く、県を跨ぐ移動が制限されていた期間が長かったですが、農村部の現場に近い地方に事務所を構えているため、比較的農村部に出張し、現場で活動することができました。

 

加瀬:

常日頃から、受益者やカウンターパートの皆さんと頻繁なやり取りをしています。綿密なコミュニケーションを通して草の根で培った強い協力関係があるからこそ、感染拡大期においても、事業を一定程度進めることができたのだと思います。学校建設活動では、感染対策を守って、特例で建設モニタリングを継続することができました。警察官が道々で検問し車両の移動がままならない中でも、コミュニティの皆さんが、「彼らは学校を建ててくれていて、ワクチンも打っているし、きちんと感染対策もしているので、通過させてください」と積極的にアシストしてくれました。常日頃からの草の根の深い関わりが、非常時に大きなチカラになることを実感しました。

 

三宅:

地域に根差したコミュニティ図書館が、行政が把握していない、コロナ禍による生活困窮者や困難に直面している高齢者を把握しており、食料や感染予防用品を供与できたことです。また、学校での地域学習カリキュラムの開発と普及を支援している僻地の村の役場に併設された病院がワクチンを保存する冷蔵庫が買えなくて困っていたところ、これを供与できたことです。僻地の村に日頃から関係をもっていたからこそできた支援だと思います。様々な医療器具を各国政府が大使館を通じて保健省に支援しましたが、政府の支援は空港で保健省に引き渡して終わってしまい、その物資がその後どこに行ったかわからなくなってしまうことが問題とされています。私たちはそれを届け、使われていることを確認することができるため、NGOの強みだと思います。

 

今後また危機的状況が発生した場合、シャンティはどのようなことに備えておくべきか

加瀬:

危機的な状況ではそこにいる方々も我々も非常にストレスの多い環境に置かれます。その中で職員間のコミュニケーションをとり、チームワークをしっかりと構築することが重要だと思います。今回のコロナ禍においても、「何が起こるかわからない」、「自分や家族が感染してしまうのでは」というよう漠然とした不安を職員一人ひとりが抱えていました。組織体として出来ることは限られるかもしれませんが、「互いに励まし、柔軟に対応し、そして協力して前に進んでいく」ということが、危機的状況において大きな助けになると思います。職員間のコミュニケーションとチームワークを大事にし、チームシャンティカンボジアという意識を持ち、相互に協力し合いながらこれからも努めていきたいと思います。

 

玉利:

普段からコロナに関する情報を入手するとともに、自分の住む地域のコロナ対策委員会などとの関係を築いて、いざというときに治療や検査が受けられる施設を把握しておくことが必要だと思います。事業に関しては、活動が中断することもあるため、ご支援者に事前に状況を説明し、余裕をもったスケジュールを立てていきたいと考えています。

 

三宅:

3点提案します。①SVAは事業地において災害が発生した場合は積極的に緊急支援活動を行うということを明確にするべきです。②コロナや水害など災害別の対応計画を予め作成しておくことが必要です。これにより、慌てふためくレベルが軽減されると思います。③今回のような医療機器支援事業では、ニーズ調整、事業形成の段階からバイオメディカルエンジニアを短期採用することです。専門家を確保することで、事業の質を確保できます。

 

菊池:

コロナ禍において、シャンティは、各国政府のコロナ対応方針に従いながら、かつ、職員の安全を確保しながら、より困難な状況にある人々に必要な支援を届ける、教育の機会を絶やさないことを方針として活動してきました。活動を継続していくためには、日頃からカウンターパートや事業関係者、職員同士が協力し合える関係性を築いていくことがとても重要だと思いました。

同時に、今後さらに工夫して取り組んでいくべきことがあると思います。1点目は、情報を収集・発信していく力を高めていくことです。情報力は判断力に繋がります。危機的状況の中で、現場に根差したNGOだからこそ、人々の生活に関わる情報を入手していくことは大切だと思いました。また、現場目線での情報を発信していくこと。これがご支援者含め、多くの人に現地の草の根の状況を理解してもらうことに繋がると思いました。

2点目は、災害・危機対応計画について、よりブラッシュアップしていく必要性です。緊急人道支援事業ではこれまでも危機対応計画は策定していますが、いつどこで危機的な状況が起きるかわかりません。どの海外事務所においても、危機下の中で迅速に事業を実施、それを支える体制や予算を整えていくために、平時から対応計画を見直し、いざとなったときに使えるものにしておくことが大切だと思いました。

3点目は、オンラインの活用です。各事業国でもオンラインでのモニタリングやオンラインで活用できる教育ツールを開発されました。オンラインで対応できることも増えてきているので、それを積極的に活用していくことも必要だと思いました。

 

質疑応答

Q:コロナ禍の子どもたちの教育環境について教えてください。

A(三宅):ネパールの場合、オンラインを活用するのは難しい状況です。学校が過去2年間で12か月閉鎖されており、政府は援助機関(教育のためのグローバルパートナーシップ:GPE)の支援を受けてオンラインの授業を実施していました。しかし、受け取る方の家庭にパソコンやタブレット、ネットの接続がある子どもは10%にとどまりました。都会の金持ちの子どもと田舎の貧しい子どもの格差は元々ありましたが、それがさらに拡大してしまいました。失われたこの12か月を取り戻すのは非常に難しいことだと思います。今後ネット環境を整備していくことが課題になります。

 

Q:コミュニティの人々とコミュニケーションを取る際に意識していることを教えてください。

A(加瀬):常日頃から気を付けているのは「上から」にならないようにすることです。コミュニティの皆さんは私たち外国人を支援する側として敬意を示してくれますが、それでは本当の意味での絆や連携ではないと感じています。私たちが「上」になってしまうと、必要な対話ができなくなってしまい、なかなか本音を言ってもらえないことになります。私たちがコミュニティの皆さんに対して尊厳をもって謙虚に、こちらの思いの押し付けにならないように気を付けてコミュニケーションをとることが大事だと思っています。私には私の強みが、彼らには彼らの強みがあり、それぞれ別の強みがあってよく、どちらが上、下という話ではない。なるべくコミュニティの皆さんに対等に付き合ってもらいたいと思いながら業務をしています。

 

Q:子どもたちの様子にどのような変化がありましたか。

A(玉利):このご質問にお答え難しいのが難しい状況にあります。ラオスで感染が多くなったのは今年の9月以降で、まだ半数近くの学校が再開しておらず、3か月ほど授業が行われていない状況です。私たちもこの間学校に行けていない状況で、子どもたちの状況をじかに見ることができない状況です。衛生教育などは9月前に政府、シャンティ、他団体でサポートしてきましたので、コロナに関する知識はだいぶ身に付けているとは思います。学校に行けないことで勉強できず学習成果があがらない、遅れてしまう恐れがあります。ただでさえ農村部では普段でも農繁期になると子どもが家の手伝いで学校に行かなくなり、雨季や冬の寒いときは出席率が下がります。この状況下、ますますこの状況が深刻になり、教育省もコロナ禍が終わっても子どもたちがもとのように学校に戻れるのか、特に農村部では学校に通うという習慣が危うくなるのではという危惧も聞かれます。

 

Q:ミャンマーを訪問された際の印象を教えてください。

A(藤谷様):子どもたちは食い入るように読み聞かせを見つめ、夢中になり、シャンティが提供した絵本が並べてあるところに順番に走って取りに行き、じっくり読む様子が見られました。活動が子どもたち一人ひとりの心の強さ、考える力、心にプラスになっているということを実際に現場で拝見しました。

 

テーマ③「未来への展望」

菊池さん、未来への展望

藤谷様:

現地の方々のお話を伺って、この40周年という節目で、緊急支援をスタートに、心の平安、平穏、平和を追求してきたというシャンティの取り組みがあるからこそ、このような想定していないような状況の中でもレジリエンス高く、柔軟に、かつ必要に応じた支援が続けられているという印象を持ちました。

 

菊池:

第2部の話を聞いて、各国事務所が実施してきた教育文化支援活動が、現地に根差し、広がってきたのかがよくわかったように思いました。特に、住民に日々向き合っている現場の図書館関係者が、図書館が持つ力を深く理解していることがわかったことが、それを物語っていると思いました。シャンティは40年前にカンボジア難民支援から始まったわけですが、その時に「人は衣食住が満たされていればそれだけで生きていけるわけではない、心の平穏や人間としての尊厳、誇りが不可欠」であることを現場で実感し、その実現のために、図書を通じた教育文化支援を緊急下の中でも実施してきました。時代や場所が変わってもそうした組織の根幹にあたる価値が、長年の活動を通して現場に受け入れられ、染みわたっているように感じました。

同時に、新型コロナウイルスの感染拡大や政変という未曽有の事態に対峙するにあたっても、現場で長年構築してきた「信頼関係」が非常に有効であると改めて感じました。緊急時に現場のニーズに即した支援をするために、さらに改善、工夫していくべきことが見えたように思います。時代は変わり、ニーズも変わる中で、情報をきちんと得て、計画をしっかり立てながらも、柔軟に対応していく実践力が必要だと思います。どんなことも目標の達成に向けては、活動の根幹を支える理念や意志と実践力は車輪の両輪になると思います。変わらない理念、時代とともに変わっていく実践力が、未来を切り拓いていくように思いました。

 

山本:

各国事務所職員の力強い報告に成長を感じました。各事務所ともに各所長が率いて今も続いているコロナ禍で、これまでの取り組みをすでに振り返って次の提案をし、次につなげようとしているというのが、すごくたくましいと思いました。

今回のコロナの感染拡大の状況は私たちの想像以上にじわじわと全対象地に拡大し、東京事務所も影響を受けていたため、運営体制、予算的にも海外を支える支援体制が十分に組める状態ではなかったと思っています。また、コロナ禍のように、危機下での実施を想定していない事業を危機下においても継続実施するという状況を全事務所が同時に直面するというのは初めての経験だったと思います。ただ、私たちが実施する教育支援活動は、継続して積み重ねていくことで成果の達成につながるので、中断するという空白の期間を作ってしまうことの影響は、とても大きいです。その中で全事務所が絶対に続ける、という強い意志を持ち工夫して前進してくれたのは心強い限りです。

 

2021年に相次いだ危機を乗り越え、一つのばねにして進んでいく秘訣は何か

菊池:

実際はこの困難を乗り越えようとしている途中ですが、乗り越えられる秘訣があるとしたら、これまで築いてきた信頼やチーム力だと思います。海外の事業地においては、現場で長く根差してきたからこそ、災害や政変が起きた時に、シャンティだから、緊急支援に手を貸したいという声がありました。例えば、ミャンマーから避難民が出てきて、食べ物もない、医療にアクセスできない、安心して過ごせる場所がない、さらに事業実施の様々な制約があるという中で、長年に渡って信頼を築いてきたシャンティだからこそ、一緒に避難民支援に協力してくれる現地NGOや事業関係者がいました。

東京事務所でも、ミャンマー、アフガニスタンの政変を受けて、自分たちに何かできることはないかと声をかけてくださるご支援者や、緊急支援に向けたファンドレイジングのために心強いメッセージを寄せてくださって、ご協力くださる方もたくさんいました。

シャンティの元職員からも、アフガニスタンのためにできることをしたいからいつでも声をかけてほしいとメールをもらいました。これは団体に対する信頼の結果だと思います。困難に立ち向かうときに、一人だと乗り越えることは難しいけれど、長年築いてきた信頼、チーム力が困難を乗り越えていくための秘訣になると思っています。

 

山本:

「40年」の蓄積でしょうか。私がシャンティに関わった2001年は、米国での同時多発テロが発生しました。世界に激震が走り、9.11の前後で国際社会は大きく変わりました。各地で紛争が広がる一方で、復興支援により決して順調とは言えずとも私たちの対象地域も一定の成長、発展を遂げ、そこから20年経過する中で、教育支援活動も次のステージへと目を向けてきたと思います。そこに起きた今年1年の危機の中で、私たちが活動を継続できているのはやはり長年続けてきた蓄積だと思っています。

私たちNGO は、人々と共にあります。何か困難が起きた時、一緒に考え、一緒に乗り越えるために力を尽くす、シャンティはそこを軸に40年活動を継続しています。私たちの「信頼関係」は「同士」である中で築かれており、そこでは、宗教や政治、民族を超えた「繋がり」を持つことができると思っています。そのようにして人が繋がれた時、危機下であっても乗り越える策を見出すことができると思っています。これは、今働く職員一人一人の努力、シャンティのこれまでに関わってくださった先輩、多くの方々が長年築き上げた土台は非常に大きいと感じています。

 

シャンティだからこそできたこと、シャンティが果たせる役割

菊池:

シャンティが40年間で取り組んできたことは、「未来を作っていく人づくりための種まき」だと思っています。今は、新型コロナウイルスや政変などで困難な状況に直面していますが、紛争、貧困、災害、あらゆる困難はどの時代にもあったと思います。そして、どの時代でもそれを乗り越えていくのは、「人」です。私は、時代は変われど、人の本質的なところは変わらないと思っています。人が生きていくためには、身体的な充足だけでなく、人としての誇りを持ち、未来への希望を持って行くこと、人間としての尊厳を持っていることが不可欠です。それは、シャンティが実践をしてきたアジアの国々での経験が物語ってくれています。

私が駐在していたミャンマー(ビルマ)難民キャンプ事業事務所の経験ですが、たった13歳で結婚せざるをえなくなり、周りから見下されて「自分には生きていく価値がない」と語っていた女の子が、図書館に来るようになり、図書館の中でたくさんのおはなしに触れ、いろんな人と少しずつと話すようになり、だんだんと自分の役割を見出していって、青年ボランティアに参加し、さらに小さい子どもたちに読み聞かせ活動をしている姿を目にしてきました。彼女は「自分に少し自信が持てるようになった、自分の生きがいを見出せるようになった」と話していました。

ほんの一例ですが、どんなに制限が多い環境の中でも、きっかけさえあれば、自分の役割を見出すことができれば輝いて生きていくことができると思っています。私たちは、2~3年先を見て活動しているわけではなく、10年先、20年先、50年先の未来のために今、教育と文化の種をまいています。未来を創る子どもたちのために、どんなに厳しい環境の中でも一人一人が自分の生きる意味を見出し、自分たちに誇りを持ち、どんなに厳しい状況でも選択し、答えを出して未来を切り拓いていくために、私たちはこれまで培ってきた「信頼」をもとに多くの仲間を巻き込んで推し進めていくことが大切だと思います。シャンティはそうした一人一人が未来を切り拓いていくための縁の下の力持ちの役割をこれからも果たしていけると思います。

 

山本:

シャンティが大事にする「触媒」となるというのは、この40年間の中で、シャンティの事業実施において自然に引き継がれてきたのではないかと感じています。私は複数の国を経験させて頂きましたが、どの国でもシャンティって知られているようで知られていない、知られていないようで知られているのです。「シャンティ」という団体名ではなく、「本」、「図書館」、「人」と教育分野においてどこかでシャンティが根付いていて、活動は大きくなく、目立たないけれど、気づけばその国の教育政策にも届いているのです。そういった触媒としての私たちの事業実施の手法はシャンティに関わった人たちの手で事業の中に組み込まれる形で引き継がれています。それを紙に落とすと、「会議が多い」「研修の数が多い」「参加者が多い」と言われることがあります。一歩間違えると非効率と言われかねません。でも、シャンティのこの形は信頼関係を構築し、現地で確実に根付くために引き継がれた私たちの強みだと40年を迎えて感じています。

私たちの現在の定款には、「全ての民族と人間の尊厳性が尊重され、又、国家や民族、 宗教、言語、文化の違いを超えて共生し、「共に生き、共に学ぶ」ような地球市 民社会の構築を目指し」という一文があります。これは、設立当時からシャンティが目指していたものです。本、図書間や読み聞かせなどを軸にした教育支援活動が、人間の尊厳を守ることにつながるということが、40年を経て私たちに更に確信を与えてくれたように感じます。この使命を引き継いでいるというのは非常に大きな財産だと思っています。

 

藤谷様:

長い時間、現地、東京からお話を伺って、40年間の悩み、苦しみ、喜び、つまずき、いろんなことを経験されて今があるということを感じることができました。残念ながら今は平和な状況ではない国々が多くある中で、アフガンの職員の方の言葉でこれはチャンスであるという言葉がありましたが、やはり前を向いていく、この機会をどう捉えてどう良い世の中をつくっていくのか、良い人を作っていくのかという、目線を上げて進んでいくところに非常に感銘を受けました。40年の節目ですが、これからさらに40年、50年と、メッセージや心を子どもたちに植え付けていくような活動を続けていっていただければと思います。ありがとうございました。

 

これからの40年に向けて

英里さん、これからの40年に向けて

山本:

本日、ご多忙のところ長時間にわたりシャンティ設立40周年オンラインイベントにご参加くださり、厚く御礼申し上げます。また、長年にわたりシャンティを支え続けてくださった方々へ職員一同感謝申し上げます。皆様にお会いできなかったことはとても残念なのですが、こうしてオンラインだからこそ海外各地からの声を直接皆様にお届けできたのではないかと思います。

今年は、昨日まで国民を守る側のはずだった政府が、市民に発砲している映像、泣き叫びながら飛び立つ飛行機に群がる人々の映像は、表現しがたい恐怖と脱力感に息をすることができない程、胸が締め付けられました。人生を、命を懸けて活動をしてきた人々、それを支援してくださった方々、多くの人たちの心が傷つき、誰もが、たった1日でこれまでの積み重ねてきたものは無駄になってしまったのではないか、とそんな風に感じたのではないかと思います。

昨年からのコロナに加えて、今年勃発したミャンマー、アフガニスタン問題に、私たちには太刀打ちできないと突き付けられているようで先行く道が絶たれたような気持ちに一瞬なりました。そんな時、ミャンマー、アフガニスタンの職員が出した結論は「継続」でした。継続する事のリスクについてもさんざん話合い、どれだけ議論しても答えがあるわけではありません。その中で出した「継続」という決断。今、私たちは、子どもたちに希望を届けるために、知恵を出し合い、一つ一つの壁を乗り越えていく、共に生き、共に学びながら進んでいく新たなスタート地点に立ったといえます。ただし、ゼロからではありません。私たちには、40年という財産があること、このことが更なるこれまでにない困難を乗り越える力であること、それを今日改めて感じることができたことに感謝しています。

これからのシャンティの歩みを考えるのですが、子どもたちに笑顔で、夢や希望をもって育ってほしい。誰もが共通して願うことだと思います。ですが、それは、お腹が満たされただけ、知識を得ただけでは達成できないのです。共感、創造、対話、批判的思考といった「生きる力」の育みがあって、自分は愛されていると感じる場があって初めて自分自身で夢や希望を見出すことができるのだと思います。まさに、私たちが学校、家庭、地域に本を届ける時の願いでもあります。

日本はまさにそういった問題に直面しているような気がします。デジタル化が進み、国境を越えて繋がることができる世の中になっています。一方で、孤独や疎外感は増している傾向もあるように思えます。ITの世界では、自分で使っているようで、実は使われていることの方が多いのかもしれません。これから使いこなせる力を育むことがますます必要になっています。その中でシャンティが継続してできることは、「つなぐこと」ではないかと思います。共に生き、共に学ぶ機会をより多くの若者、子どもたちに提供していくこと、異なる文化、社会、宗教を学び合うことで自分自身の幸せの追求ができるような機会の提供が必要ではないかと感じています。そしてそれが共生する社会への構築にもつながっていくと感じています。

これから、私たちは世界のより複雑な社会、紛争、貧困問題と向き合い続けると共に、どのような危機下においても人間の尊厳を守るための教育・文化活動を継続していきます。そして、自然災害での緊急支援だけではなく、復興、減災・防災とはどうあるべきかを皆さんと共に改めて考えて参りたいと思います。また、日本国内における外国ルーツを持つ子どもたちを取り巻く環境にも向き合い、日本においての共生社会の構築にも貢献していきます。更に、絵本を届ける運動をはじめとする国内での活動を通じた市民参加の促進、クラフトエイドを通して、人々が自立することを支え、製品を通して、学び合いにつなげられるような取り組みを強化していきます。そして、新たに気候変動といった問題にもシャンティとしてどう取り組めるのか考えていく必要があるように感じています。

これらすべての活動が、シャンティが目指す平和な社会の実現に不可欠だと考えています。ただ、私たちだけ達成することは非常に難しいです。様々な分野の方々と連携し協力させて頂きたいと願っています。どうか引き続きお力をお貸し頂けますと幸いです。そして、活動の継続に必要な資金。長年にわたり大変多くの方々に多大なご支援を頂いております。心から感謝申し上げます。しかし、未曽有の危機に対応するために、まだまだ不足する資金をどうしたらシャンティは確保できるのかどうかお知恵をお貸しください。

最後になりますが、皆様のご多幸とご健康を心より祈念いたしまして私のご挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。

 

閉会のご挨拶(副会長 神津佳予子)

神津副会長、挨拶

今日は長時間のご参加、本当にありがとうございました。「曹洞宗ボランティア会」時代から活動を経て、40周年を迎えられたのも、本当に皆様の温かい、真心を私たちが受け取らせていただいて、時には叱咤激励していただき、伴走し、支えてくださった関係団体、企業様、ご支援者の皆様のおかげでございます。深く感謝しております。これからも皆様のお力をお借りして、地道に、確実に歩みを進めてまいります。今後ともなにとぞよろしくご指導、ご支援のほどお願い申し上げます。本日は本当にありがとうございました。

 

※イベントの様子は、シャンティのYouTubeチャンネルにて公開されておりますので、どうぞご覧ください。

 

地球市民事業課 中井・事業サポート課 長内