アジアの教育支援現場を走り続けて40年。現場にかける想い_八木澤 克昌
カンボジア、ラオス、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、アフガニスタン、ミャンマー、ネパール、タイで、子どもたちへの教育支援や緊急救援活動を行うシャンティ。1981年の団体設立当初から現場一筋を貫き、早40年。学生時代は「山に登ることしか考えていなかった」八木澤 克昌が、この道を長く続ける想いとは。
シャンティ国際ボランティア会
常務理事
八木澤 克昌(やぎさわ かつまさ)
山登りに熱中していた学生時代。「山のキャンプ」から「難民キャンプ」へ。
今から遡ること42年前。1980年に、カンボジア難民の緊急救援活動として「曹洞宗東南アジア難民救済会議」(JSRC)が設立されました。1981年に、緊急救援活動のプロジェクト終了にあたり「曹洞宗東南アジア難民救済会議」(JSRC)でボランティアとして活動していたメンバーの有志が、それまでに行っていた活動を継続させるために立ち上げたのがシャンティ国際ボランティア会(当時名称「曹洞宗ボランティア会」)です。
そして、このシャンティの前身となった「曹洞宗東南アジア難民救済会議」(JSRC)にボランティアとして参加していたのが、大学を卒業したばかりの八木澤克昌でした。
シャンティ設立から現場一筋40年。これまでタイやラオス、カンボジアの事務所所長を務め、現在は、アジア地域ディレクターとして、活動に取り組んでいます。長い現場経験から、国際協力の道に進むべくして進んだように見える八木澤ですが、高校時代から熱中していたのは他でもない山岳部での活動でした。
八木澤「NGOや難民、スラムといったキーワードに、元々興味があったわけではありません。冒険家の植村 直己さんに憧れて、高校では山岳部へ。山を登ることしか頭にない学生時代でした。」
栃木県の田舎出身で、当時周囲に大学に進学する人は少なく、自身も大学に進学することはあまり考えていませんでした。しかし、大学に行くチャンスに恵まれ大学へ進学。数ある学部のなかから選んだのは、社会福祉学部でした。大学でも、高校時代から引き続き山岳部に所属し、アルバイトと登山に没頭する日々。しかし、大学、転機が訪れます。
八木澤「大学4年の時に、ネパールのヒマラヤを訪れたんです。山に登るために雇ったポーターが、小学生ぐらいの小さな子どもで…。まさに児童労働ですよね。自分は社会福祉を大学で学んでいるのに“何をしているんだろう…”と思いました。それが最初の大きなきっかけでした。」
さらにその後、5600メートル級の山を登っているときに、自身が命の危険に瀕するという経験をします。
八木澤「自分の命が危うくなった時に、高いところに登るなんて自己満足だ、と気づきました。さらに、帰国した直後、突然交通事故で兄が亡くなったんです。身代わりになってくれたのかな、と思いました。」
命の危険を感じた登山から、日本に帰ってきた直後の悲しい出来事。当時八木澤が22歳、兄は26歳でした。生と死を身近に感じる日々でした。
そんななか、八木澤はカンボジアの難民キャンプの状況をニュースで目にします。そこにも、生と死が隣り合わせの日常が映し出されていました。居てもたってもいられず、兄の死で悲しむ両親に「福祉の勉強に行ってくる」とだけ告げ「曹洞宗東南アジア難民救済会議」(JSRC)のバンコク事務所にボランティアとして向かいました。
八木澤「山のキャンプも、難民キャンプも同じ“キャンプ”かな、と思っていました。」
こうして、八木澤の支援現場での活動は始まりました。
2009年、スマトラ島沖地震の支援現場で
「共に生き、共に学ぶ」を体現するスラムでの生活
「曹洞宗東南アジア難民救済会議」(JSRC)のバンコク事務所に赴いた当初、英語もタイ語も全く話すことができない状態でしたが、山岳部で培った体力をかわれ、カンボジア難民キャンプや農村で、子どもの教育を中心とした様々な活動に取り組みました。ボランティアとして活動するのは、当初半年間の予定でしたが、気が付くと5年が経っていました。
八木澤「5年間活動した後、あまりにも英語ができないので、奨学金をいただいて1年間留学に行かせてもらいました。当時日本にはなかった国際協力分野の勉強をしている中で、“国際協力が、必ず日本の将来を支える職業になる!”と確信しました。」
当時は「NGO」という言葉も浸透しておらず、すべて「ボランティア」と称されていました。留学を経て国際協力の仕事によりやりがいを感じた八木澤はバンコクに戻り、東京事務所での勤務を経て、再びバンコクへ。1992年からは、家族でスラムに住むようになります。
八木澤「スラムの生活がわからなければ、仕事ができないと思ったんです。現場を知るために1番いいことは、実際に自分も住むこと。シャンティのミッションである“共に学び、共に生きる”とは、そういうことだと当時思っていたんです。
今思えば、若気の至りだったような気もしますが…(笑)山岳部出身ということで、山の精神が染みついているのか、“より困難なところ、より高いところに行きたい”という気持ちがあったというのは、動機としてひとつあると思います。」
現在も変わらずスラムに居を構え、日々の生活を送っています。スラムでの生活というと、過酷なイメージがありますが、暑い以外は大したことないと、明るく話します。
八木澤「火事やごみ、どぶの汚れ、夫婦喧嘩、麻薬の問題などは日常茶飯事です。あとは、差別ですね。タクシーに行き先を告げると、乗車拒否されることもよくあります。ただ、スラムの中は助け合っていてみんな驚くほど優しい。火事で焼けてしまった家族同士が助け合っている光景も目にします。」
今では住民を巻き込んでスラムを綺麗に保つよう、ごみ問題の解決に向けた呼びかけなどに取り組む八木澤も、当時を思い出して胸が痛くなる言葉があります。
八木澤「物心ついた娘に“私はスラム生まれスラム育ち。いつスラムから出られるの?お父さんは私の気持ちを考えたことある?”と言われたことがあって。その時は何も言えなくて…。いちばんつらかったですね。家族の支えがなければ、ここまで活動を続けられていなかったと思います。」
1981年。カオイダン難民キャンプでの活動中の様子
現場で見える変化。一人の変化が、世界の変化につながる。
シャンティの活動の軸は、絵本です。日本で暮らす子どもたちにとって、絵本は身近な存在ですが、アジアの国々では決してそうではありません。絵本を手にしたことのない子どもたち、絵本に書いてある自国の言葉がわからない子どもたちも多く存在します。
八木澤「活動を続ける中で、絵本の意味はあるのか?と聞かれることが多くありますが、現場にいるとその意味を強く感じます。
たとえば活動国のひとつであるアフガニスタンでは、イスラム教によって偶像崇拝が禁じられていて、絵本も禁止されていました。そこで、スタッフがイスラム教を徹底的に学び、根気強く“絵本は偶像崇拝ではない”と説得しました。今では、かつて銃を担いでいた人が、絵本の読み聞かせをしています。」
また、ラオスでは1996年から、子どもたちのための総合施設「子どもの家」の運営を支援してきました。今では、シャンティの支援が入ることなく、「子どもの家」がラオス国内48か所に広がっています。
八木澤「ラオスの子どもたちに自国の文化を知ってもらい、誇りをもってほしいとはじめた「子どもの家」の活動でしたが、最初は利用者の少ない日も多く、このまま続けられるのかと不安でした。しかし、徐々に広がり、毎週500人ほどの小中学生が図書館を利用するほか、伝統舞踊や楽器、日本語を学んでいました。
そして、忘れもしない出会いがあったのです。それは、小さい頃に「子どもの家」に通っていたスニタさんという女の子が、今では国営テレビのアナウンサーとして、ニュース番組のキャスターや子ども番組の司会などを行っています。彼女が夢を実現できたのも、「子どもの家」で絵本を読み、おはなしの読み聞かせを経験したからだと、スニタさんが伝えてくれました。」
銃から絵本へ。手にするものが変わると、その人の人生は大きく変化します。ひとりひとりの変化が、世界を少しずつ良い方向に進ませる、と八木澤も信じています。
スニタさん(ラオス国営テレビ局アナウンサー・ニュースキャスター)
これからも続く現場での活動。40年は「まだまだ」!
家族の支えや理解もあり、八木澤のシャンティでの活動は、今年で40年目になります。
3年以内に7割ほどが離職してしまうと言われる国際協力業界。特に若い人が長く続けることのできる組織にしないといけない、と八木澤は感じています。
八木澤「ぜひ若い人には、現地に行って、実際を見てほしい。課題は多いけれど、そこには熱意があって、それを感じてほしい。私としては、現場から伝えて、繋ぐことをやらないといけないと思っています。」
苦労を重ねながらもシャンティでの活動を続けてこれたのは、“シャンティファミリー”の存在があったためです。
八木澤「つい最近、Facebookで偶然繋がって、1980年にカンボジアで活動しているときに出会った当時先生をしていた女性と、39年ぶりにバンコクの空港で再会したんです。」
そう嬉しそうに話す顔は、これまで継続してきた活動の苦労を感じさせません。
八木澤「日頃関わる人々や“SVAファミリー”がいる限り、辞めるという選択肢はありません。
企業勤めであれば、勤続40年、50年は当たり前。40年で驚かれるのは、日本のNGO業界が未熟だということです。まだまだ頑張らないといけませんね。」
現地の人の変化だけではなく、国際協力に関わろうとする人の変化、そして国際協力業界の変化。八木澤はこれからも様々な変化を生み出すことを思い描いて、現地での活動に取り組みます。
バンコクのスラムでの読み聞かせ (『おおきなかぶ』福音館書店)
プロフィール 八木澤 克昌(やぎさわ かつまさ)
1980年 カンボジア難民支援事業にボランティアとして携わる。
以来40年にわたり、タイ、ラオス、カンボジアの各事務所所長、ミャンマー難民事務所長などを歴任。ネパール大地震などの緊急援助の初動調査に関わる。
2006年 外務大臣表彰
現在、バンコクのクロントイ・スラムを拠点に同会の常務理事を務める
企画・編集:広報・リレーションズ課 鈴木晶子
講演会記録の編集:高橋明日香
講演会実施:2019年3月27日