【開催報告】スラムに希望のともしびを求めた40年 プラティープ・ウンソンタム・秦先生 講演会
12月10日(土)シャンティは設立41周年を迎えました。本設立イベントに、シャンティは44年にわたってタイでスラムの子どもたちの教育支援をしてきたプラティープ・ウンソンタム・秦先生(以下プラティープ先生)をタイよりお招きし、オンラインイベントを開催いたしました。
ご参加いただいた皆様、誠にありがとうございました。
本イベントは二部構成で、第一部では、「タイ格差社会とNGOの役割について」をテーマに、プラティープ先生よりお話をいただきました。第二部では、シャンティ事務局長の山本英里をファシリテーターに、プラティープ先生、秦辰也氏の3名によるトークセッションを通して、こらからの市民社会やNGOの役割を考える機会となりました(講演者の略歴等はこちらよりご覧ください)。
第一部 講演会「タイ格差社会とNGOの役割について」
第一部登壇者
プラティープ・ウンソンタム・秦先生
通訳 秦辰也氏
- ●タイの格差是正を目指して44年
タイはかなり格差が広がっていると言われています。2018年の発表では、インド、ロシア、トルコを抑え世界で最も不平等な国となりました。
教育の格差も問題となっており、コロナ禍においてリモート授業が取られていますが、パソコンやWIFI環境がない貧困家庭は教育を受けることができません。
一日一バーツ学校を、16歳のとき姉と始めました。スラムの子どもたちに呼びかけ、搾取されたり、だまされたりしないように、しっかりと自分たちの権利が主張できるようにという思いで始めました。この活動をすればするほど、子どもたちや地域社会が抱えている問題が浮き彫りになってきました。
(プラティープ先生と一日一バーツ学校の様子)
その業績が認められ、マグサイサイ賞を受賞し、その賞金でプラティープ財団を設立しました。
プラティープ財団の活動は6つあります。その一つの「おはなしキャラバン」はシャンティとのご縁があり、有馬実成事務局長(当時)が日本からタイにグループを呼び寄せました。そのほかにも子どもの権利獲得や、出生届け、防災訓練・教育、コミュニティ開発や生きなおしの学校といった活動を続けています。
(プラティープ財団の活動のひとつ「おはなしキャラバン活動」の様子)
防災活動にはこれまで力を入れて取り組んできており、日本の方から支援をいただいています。スラムは密集地域が多く、火災が頻繁に発生しやすくなっています。自前の消防団はほぼ毎日活躍している状況です。
また、無国籍の子どもたちの出生証明活動も行っています。UNHCRの調査では登録してあるステイトレスの人達だけでも57万人国籍を登録していない人がいますので、おそらく登録してない人はそれ以上の数だと思われます。その内4割は子どもたちです。スラムの中でも両親の国籍が不明で届け出を出せず、社会的なサービスが受けられなくなっています。私たちは、その子どもたちを登録し、学校教育やセーフティネットを支援しています。
●コロナ禍のスラム プラティープ財団の取り組み
ここ最近の取り組みとして、コロナに対する活動があります。クロントイ地区だけで300人ほど亡くなっており、4万人以上がコロナの症状が出ています。当初は、タイ政府も対応がわからなく、クロントイスラムのリーダーで手を組み、お寺の住職を含め皆で協力して対応してきました。保安局に協力を要請し、交渉をすすめていく中で、仮設テント病院を建設しました。
最初は、お寺の住職がお寺の中に隔離施設をつくりましたが、あまりにも感染者が多く、すぐに満杯で使えなくなりました。病院と連携し、医師や看護師も来訪するようになり、PCR検査やワクチン接種もおこないました。プラティープ財団スタッフが様々な食事や救援物資の手伝いをしました。
(時折笑顔を交えながら、丁寧にお話をするプラティープ先生)
●行政へのはたらきかけ クロントイ開発計画案
バンコク都知事選(2022年5月)にてチャッチャート・シッティパン氏が史上最高得票で当選したことを受け、クロントイ行政区の開発計画協議が行われています。3つの地域の45のスラム地区から120名集まって7つの分野(1.健康、2.経済 3.教育 4.社会 5.安全と財産 6.ハウジング 7.環境)の開発計画を実行しています。
最後に、この44年間、参加者の皆さまをはじめ、日本や諸外国の支援者のおかげでさまざまな活動を続けることができ、今回の叙勲(*)につながりました。軍事クーデターや様々な不安はありますが、地域住民が貧困でありながらも自分たちの問題は自分で解決できるような環境は整ってきましたので、これからも皆さまとともにこの活動を継続していきたく思います。
*プラティープ先生は2021年4月29日付けで、日本・タイ間の関係強化及び議員間交流の促進に寄与したことが評価され、日本政府茂木敏充外務大臣(当時)より、「旭日中綬章」の勲章を授与されています。
第二部 トークセッション
第二部登壇者
プラティープ・ウンソンタム・秦先生
秦辰也氏(兼通訳)
山本英里(ファシリテーター)
- ●日本と交流がはじまったきっかけ
山本:プラティープ先生は長年にわたりタイと日本のつながりを築いてこられましたが、交流がはじまったきっかけはどういったことだったのですか。
プラティープ先生:最初の日本とのかかわりは1973年でした。元日本兵の永瀬隆氏が「戦場にかける橋」の建設のためにタイを訪問し、日本へ帰国する前にクロントイに来ました。永瀬さんはその時とても飢えで苦しんでおり、それを見たクロントイの住人は永瀬さんに食事を提供しました。その翌年の1974年にNHKより取材を受け、アジアの傑出した若者に与えられる「青年賞」を受賞しました。そこから、多くの日本の方が訪問するようになりました。
山本:1979年にシャンティのタイ事務所が設立されます。そこからシャンティとプラティープ先生の交流もはじまります。秦さん、当時のお話を教えてください。
秦氏:私がタイに赴任したのは1984年ですが、クロントイ地区は立ち退きや移転問題といった様々な苦労がありました。プラティープ先生はすでに「闘う天使」と呼ばれていました。シャンティは80年代に移動図書館等でクロントイを訪問したと聞いています。1981年には世界宗教者平和会議の招待でプラティープ先生はマザーテレサさんと来日し、日本各地を訪問したと聞いています。1984年になるとシャンティは「おはなしキャラバン」のために、タイで講演活動をしました。プラティープ先生とプライベートでも親しくなり、現在は2人3脚で活動を続けています。
(シャンティとの交流前から、日本との交流は始まっていました)
- ●移民や難民問題
山本:クロントイスラムにはカンボジア移民だけでなく、ミャンマーとの国境(カンチャナブリ)にも移民の方が増加もみられる中で、タイ国内の移民や難民の問題について、改めてどうお考えですしょうか。
プラティープ先生:タイは父兄社会で、血統主義の国です。国籍付与に関しても、父親がタイ人であれば、タイの国籍が取れます。現在は法が改正され、父親もしくは母親がタイ人であればタイ国籍が取得できます。移民・難民の生活は国境周辺が多く、法的な証明がしづらいです。未だに解決はできていません。
隣国ミャンマーの政変の影響で多くの国内避難民がいますが、難民として出られるのは数が限られており、不法入国や移民労働者の数が圧倒的に多いです。タイ国内では220万人以上の労働者が登録していますが、その倍以上の数であると思います。そこで生まれる子どもたちは無国籍である子どもが多く、国に帰りたくても帰れない状態が続いています。
秦氏:移民労働者の調査をしていますが、タイ農村部の貧困より、現在はラオス、カンボジア、ミャンマーはより深刻な状況だと感じています。多くの人が強制労働や人身取引に巻き込まれてしまっているのが現状です。工場等で働いている人たちが船に監禁され、行きつく先は日本であったりと、決して対岸の話ではなく、私たちの問題として対応すべきと思います。
●メッセージ
山本:日本のNGOと市民社会にどういったことが求められていると思いますか。
プラティープ先生:国際的な問題に対する対応は様々であると思いますが、是非その対応を明確にして取り組んでほしいと思います。日本の方々はカンボジア内戦に対して和平を目指して取り組んできました。平和構築に関する方針はしっかりと持ち、ミャンマーにも当てはめて取り組む必要があります。問題に対して、短期、中期、長期的な視点をもって取り組んでいただければ、良い社会が構築されるのではと思います。
山本:最後に登壇者お二人からメッセージをお願いします。
プラティープ先生:地域住民、宗教界、ステークホルダー、行政、企業、メディア界等多くの人たちが結集して力を合わせて取り組めば物事は大きく変わっていきます。今後も努力していきたいと思います。
秦氏:地球上の事柄はすべて繋がっていると感じています。ウクライナ問題に対しても多くの国が支援しています。これからも市民みんなでお互いが助け合うべきであると思います。
●シャンティのこれから
トークセッションの最後に山本より「シャンティのこれからに向けて」を皆さまと共有しました。
2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻を境に私たちの世界は大きく変わりました。近代化された村や町が一瞬にして廃墟になる映像に、背筋がぞっとする思いをされた方も多かったのではないでしょうか。なぜこの戦争を止めることができなかったのか、私たちは子どもたちに説明をする言葉が見つかりません。
「誰も取り残さない」という国際社会共通の目標を掲げる中で、「取り残される人々、子どもたち」が増加し続けています。自分の住む国を追われてしまった人々、帰れなくなった人々は、支援を得ない限り生きていくことすら難しい状況に追い込まれます。国際社会の中でも政府や民間と多くの支援がなされるのですが、その中で、まったく支援が行き届かない人たちがいます。
(アフガニスタンにて物資を受取る裨益者)
2021年2月のクーデーター以降、ミャンマーから第3国に逃れてきた多くの人々は滞在許可がなく、逃れてきた先でも拘束や強制送還を恐れてジャングルに身を潜めて暮らしていたり、拘束覚悟で都市部にかくまわれて暮らしていたりする人たちがいます。正式な支援を受けることができず、悪環境の野外で子どもを産む母親、生まれた子どもの体を洗うきれいな水も確保できません。雨よけもなく、感染症が懸念される環境の中で、幼い子どもたちは不安な日々を過ごしています。
(ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ)
ウクライナでは、長期化する戦争、空襲警報が鳴るたびに防空壕に避難する生活の中で子どもたちが精神的不安定になり、みかねた母親が幼い子どもを連れて第3国に逃れています。長期化する受け入れを想定していなかったため、隣国での生活を支えるのは民間の人々に頼らざるを得ません。支援をしている人々は、明日彼らに配布する食糧がないと嘆きます。
(モルドバの避難民の子どもたち)
そして、私たちの生活する日本にも政情不安の為に避難した人、帰れなくなった人たちがいます。彼らの中には、最低限の生活も確保できず、不安の中で暮らしています。日本で受け入れられず、命を落とす覚悟で再度政情不安な国に戻らざるを得ない人たちがいることをどれだけの人が知っているでしょうか。
彼らに支援が届かないのは、決して資金だけでの問題ではありません。政策、法制度など様々な問題が彼らへの支援の壁になります。しかし、これは、一人一人が支援をすべきと声を上げることで変えることができる壁です。
目の前の生活が苦しくなると、どうしても自分たちのことで精いっぱいになります。しかし、自分たちの生活を守るためには、人が生きていく上で必要な権利を守るみんなで守ることが不可欠です。他の人の権利が守られているかに敏感になることは、自分たちの権利を守ることにつながります。
シャンティは、これからもその人にとって何が必要かを最優先に考え、支援が困難な状況であっても最後まであきらめず前進して参ります。シャンティの活動は、シャンティと共に、人々、子どもたちに希望を届けるために温かいご支援をくださる多くの方によって支えられています。職員一同、心より感謝申し上げます。
シャンティは、プラティープ先生の旭日中綬章受章に改めて祝意申し上げます。シャンティのYoutubeチャンネルより、本イベントの様子を全編ご視聴いただけます。
広報・リレーションズ課 梶ヶ山薫