2026.07.22
シャンティな人たち

目の前の人の苦しみに、そっと寄り添う。被災地の現場で関係性を紡ぎ続けることで見えてきたもの_中井 康博

キャリア
スタッフインタビュー
スタッフの声

岐阜・高山市のお寺に生まれ育ち、大学卒業後は福井・永平寺で1年間の修行を経て、シャンティへ。入職から5年で9つの被災地を駆け巡り、国内災害支援の最前線に立ち続けてきました。「NGO職員であること、僧侶であること。どちらも大切にしたい」と語る中井康博の歩みを聞きました。

シャンティ国際ボランティア会
緊急人道支援課
中井 康博(なかい やすひろ)

岐阜のお寺から、広がる視野と社会課題との出会い

岐阜県高山市は、外国人観光客が多く訪れる国際色豊かな街です。高山市内のお寺の跡取りとして生まれた中井の日常にも、自然と海外からの訪問者との接点がありました。

中井「仏教や日本の文化を英語で伝えることの難しさを感じていました。でも同時に、自分が海外のことをまったく知らないとも気づいて。ちゃんと知りたいという気持ちが芽生えました」

国際協力への関心に火をつけたのは、当時JICAに勤務していた叔父でした。中学生のころに聞いたホンジュラス駐在の話が、漠然と心に残り続けました。仏教系の学部がある駒澤大学に進み、お寺出身の仲間たちに囲まれながら、短期留学でオーストラリアにも渡りました。

中井「海外にいると、自分の生まれ育ちに興味を持たれることが多かったんです。それまではあまり意識していませんでしたが、仏教者であることが、自分のアイデンティティのひとつなんだと気づきました」

在学中に実家が養育里親として子どもを迎えはじめたことも、中井の視野を広げました。お寺の跡を継ぐことだけでなく、「社会課題にかかわること」が、自分の生き方のキーワードになっていきました。


(令和2年永平寺上山)

誰かの苦しみに、静かに寄り添う——そのことを知った1年

大学を卒業した2020年3月、中井は福井県にある永平寺での修行生活に入りました。スマートフォンもテレビも新聞もない、外の世界から遮断された日々に加え、日本のみならず世界が新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け始めたころでした。

中井「緊急事態宣言が発出された時だけ情報が入ってきて、正直、不安でした。それでも、何もない環境だからこそ、自分と向き合う時間が生まれたのかもしれません。あの1年間がなければ、いまの自分はないと思います」

修行から半年ほどがたったころ、転機となる出来事がありました。同年代の夫婦が水子供養に訪れ、法要を終えると涙を流しながら「心が落ち着いた」と語ってくれました。

中井「誰かの苦しみに、静かに寄り添う。それがどれほど大切なことか、あの夫婦の涙を目の前にして実感しました。社会に出て、もっと幅広い経験を積んでからお寺に戻ってきたい。そう強く思うようになりました」

修行を終えて就職先を探す中で目に留まったのが、シャンティの求人でした。それまでNGOといえば海外での活動が前提で、英語が十分でない自分には縁遠い世界だと思っていた中井を動かしたのは、「国内」という言葉でした。「国内からなら、自分でも挑戦できるかもしれない」。父親から、阪神・淡路大震災のときにボランティアでシャンティと少し縁があったと聞いていたことも、後押しになりました。

「顔の見えない支援」が変わった出会い―はじめての被災地支援

2021年5月にシャンティに入職した中井は、同年8月に最初の被災地支援として佐賀の水害対応に向かいました。放課後等デイサービスや幼稚園での子ども支援、サロン活動など、慌ただしい毎日の中に、忘れられない出会いがありました。

中井「浸水被害を受けたお宅を訪問していたら、そこの方が私の遠い親戚だったんです。『身内が助けに来てくれた』と、本当に喜んでくれて。それまでは、被災地で出会った他人だったのが、知らないうちにつながっている縁を感じ、〝顔の見えない方への支援〟という感覚が、その出会いで大きく変わりました」

同じ活動の中で、もうひとつ忘れられない場面がありました。被災された方のお宅で浸水した仏壇に手を合わせたとき、中井の中で、あることが確信に変わりました。

中井「被災された方の中に、心にひっかかりを抱えながらも、それを吐き出す場がない方がたくさんいました。でも、浸水した仏壇に手を合わせた自分が僧侶だとわかると、言葉があふれてくることが多かったんです。NGO職員であること、僧侶であること、どちらも大切にしたい——そう確信した瞬間でした」

佐賀以降も、福島や秋田など国内各地の被災地支援に携わり、その数はこれまで9カ所に及びます。中井はどこに行っても同じ姿勢を大切にしてきました。

中井「どこに行っても、はじめて支援に向かった時の気持ちを忘れないように心がけています。風土・文化を尊重し、いままでの経験が邪魔をしないように。その土地の人が主役で、そこに寄り添うのが自分の役割だと思っています」


(令和5年秋田豪雨_土砂現場での活動)

能登に常駐して。長く関わるからこそ見えてきたもの

2024年1月1日の能登半島地震発生時、中井は岐阜の実家に帰省していました。発災を知るやいなや、すぐに現地調査に向かいました。

中井「七尾市に足を踏み入れると全壊した建物ばかり。道も悪く、奥能登に進めば進むほど、食べ物を買いに抜け出すだけでも1日仕事という難しい状況で…。壮絶な環境でした」

能登半島の広範囲な被害の中、支援が手薄な地域も多く、「いままでの蓄積を発揮せねば」という覚悟で臨みました。発災直後から輪島市を拠点に、避難所や在宅避難者の支援をはじめ、仮設住宅への移行や奥能登豪雨水害への対応、現在の移動図書館活動と支援を続け2年半が経ちました。生活環境の変化を共にしながら、よそ者であってもできるだけ住民目線に近づきたいと思い、いろいろな方の声を聞いてきました。


(能登半島地震_半壊家屋の片付け)

しかし2024年9月、能登半島地震からの復興が少しずつ進み始めていた中、奥能登豪雨が再び襲いました。

中井「発災からの半年はとりわけ厳しい環境で、そんな中、苦楽を共にした地域の方は親しい方ばかりでした。そんな方々の心が折れる瞬間を目の当たりにしたようで、なんて声をかけたらいいかわからなかった。言葉にならない悲しみと自分の無力さを痛感しました」

被災地に長く関わり続ける中で、「まだいてくれるの?」「おかえり」「住民票移しなよ(笑)」とうれしい言葉をかけてもらえることもあります。そうして地域の方と仲間として向き合えるようになるからこそ、悲しいことだけでなく、復興に向かう喜びも共有できる。社会の関心が薄れていく中でも、「それをちゃんと伝えたい」——そんな思いが、中井の中に強くなっていきました。


(奥能登豪雨後、ヒアリングを行う様子)

「共に生き、共に学ぶ」姿勢を、次の場所でも

これまでシャンティで5年間、被災地支援に向き合いながら、見えてきたことがあります。

中井「お寺とNGO、一見かけ離れているように見えて、実はとても近いんです。お寺も地域の方の浄財をいただき、子ども食堂や防災活動を担い始めている。シャンティが世界に向けて取り組んでいることは、お寺が地域に向けて取り組んでいることと繋がっていて、広く見れば仕組みは同じなんじゃないか。シャンティに入って、はじめて気付きました」

能登での駐在生活の中で、中井は「書くこと」にも力を入れるようになりました。メディアの報道が減る中、シャンティの発信も成果報告が中心になってしまわないように、能登に住む「その人の言葉」や「季節の移り変わり」、「美しい風景」、「魅力的な文化」を記録して伝えたい——そう思うようになりました。

中井「自分が見てきたことを文章化して残していきたい。次の人につなぐ体制をつくることも、いまの自分の役割だと思っています」

いつかお寺に戻るときには、シャンティで培った「共に生き、共に学ぶ」という姿勢を持ち帰りたい。能登での約2年半を経て、中井はそう、静かに見据えています。


(移動図書館_住民と会話 ©川畑嘉文)

プロフィール 中井 康博(なかい やすひろ)

【経歴】

2020年4月〜2021年3月:大学卒業後、福井・永平寺にて修行
2021年5月:シャンティ国際ボランティア会 入職、地球市民事業課に所属
佐賀・福島・秋田など国内9カ所の被災地での支援活動に従事
2024年1月〜2026年7月:石川県輪島市に常駐

==========

企画・編集:広報・リレーションズ課 鈴木晶子
インタビュー・執筆:高橋明日香
インタビュー実施:2025年