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2022.09.25
開催報告

【開催報告】オンラインイベント「日本で暮らすアフガニスタンからの退避者の実情にせまる」(9月4日開催)

アフガニスタン
イベントレポート
国際協力の現場から

昨年の8月15日にタリバンがアフガニスタンの実効支配を開始してから、1年が経ちました。

シャンティは、NGOにとって活動の難しい状況の中でも、アフガニスタン国内の支援を継続し、一層力を入れてきました。

<事業例>

「アフガニスタンでの現地の活動」

「アフガニスタン東部における生活困窮者への物資配布・衛生啓発及び女性の保護支援事業」

「アフガニスタンで、学校に行けていない子どものためのCBE(Community Based Education)事業を開始しました」

 

さらに、アフガニスタン人退避者受け入れコンソーシアム(以下、AFA)を、シャンティを含む4つのNGO団体で設立し、アドボカシーや情報収集・提供などを主とした活動を行って参りました。

アフガニスタン退避者受け入れコンソーシアム(AFA)ウェブサイト

 

シャンティは2022年8月15日に、加盟するJANIC主催でオンラインイベント「アフガニスタンの子どもたち・人々の暮らしと支援活動の今~政変から一年を迎えて~」を開催し、そのイベントの続編として、今月4日に、日本に退避して来たアフガニスタン人の生活の実情に着目したオンラインイベントを開催しました。

本イベントは、アフガニスタン人退避者への関わりが深い下記の3団体が共同して開催にあたりました。

浜松国際交流協会(HICE)

・アフガニスタン退避者受け入れコンソーシアム(AFA)

JANICアフガンワーキング・グループ 

 

以下、本イベントの開催報告をいたします。

 

■登壇者

・小川玲子氏 千葉大学教授

千葉大学移民難民スタディーズ代表。専門は社会学、移民研究。移民政策学会理事、NPO法人国際子ども権利センター理事など。2021年8月以降、アフガニスタンからの元留学生や在日アフガニスタン人家族の退避にかかわり、クラウドファンディングサイト CAMPFIREにて、「アフガニスタン元留学生と家族の命を守りたい #アフガン#避難民支援」を実施。

 

・山本英里 シャンティ国際ボランティア会 事務局長兼アフガニスタン事務所所長

2001年にインターンとしてタイ事務所に参加。2002年、ユニセフに出向しアフガニスタンで教育復興事業に従事。2003年より、シャンティのアフガニスタン、パキスタン、ミャンマー(ビルマ)難民キャンプ、カンボジア、ネパールでの、教育支援、緊急人道支援に携わる。アジア南太平洋基礎・成人教育協議会(ASPBAE)理事。2019年より現職。

 

■司会・パネルディスカッションモデレーター

・松岡真理恵氏 (公財)浜松国際交流協会 事務局次長兼多文化共生コーディネーター 

 

さらに、今回のイベントでは当事者の「声」を参加者の皆さまに届けるべく、アフガニスタンからの退避者もお2人登壇しました。

 

 

  • ● 第一部:アフガニスタンの概要及び退避者の現状

「アフガニスタンからの退避者の実情に迫る アフガニスタンの概況」山本英里

第一部の前半では、事務局長の山本よりアフガニスタンの歴史や現在に至るまでの経緯についてお話ししました。

アフガニスタンは様々悲劇を経験し、それを乗り越えてきた国です。干ばつや地震、洪水などの自然災害はもちろんのこと、他国からの武力的侵攻・政治的介入、それによって引き起こされた部族同士の紛争やテロは国の経済や教育に負の影響を与え続けています。

そんな中、2000年代に入って、国際社会からの支援や現地の人びとの努力により、経済成長率やインフラ、教育などの分野で一定の改善や成長が見られました。

しかし、残念ながら昨年8月の政変以降、国民は再度極度な貧困・食料危機に苦しんでおり、今では「過去最大の緊急事態になりかねない」とも言われているそうです。

 

タリバン暫定政権は、アメリカを中心とする軍の撤退によって物凄い速さで政権の樹立までに至りました。

下の図は、山本が登壇の中で用いた資料です。

https://www.longwarjournal.org/mapping-taliban-control-in-afghanistan

地図上のピンクで示されているのは武力衝突が行われている地域で、赤はタリバンが制圧している地域を示しています。左が2021年4月13日で右が同年8月15日です。これから分かるように、タリバンは短期間でアフガニスタンのほぼ全土を制圧しました。ほとんどの地域が「無血開城」だったと言われています。

 

政変前に、外国と繋がりのある機関で働いていた人や政治的な活動(人権保護、女性の社会進出など)に従事していた人は、身の危険を感じ、国外に退避する決断をしました。大量の人がカブールの空港に押し寄せる映像は今でも記憶に新しいです。

 

今回は、そんな中、日本への退避を決めたアフガニスタン人女性が、本イベントに匿名で登壇いただきました。

以下、彼女の発表をまとめました。

伝統的な衣装を着て話をするアフガニスタン人女性

セリアさん(匿名)

「日本のみなさんには、心から感謝しております。

政権が制圧された時、自分の身の危険を感じました(人権保護や女性の社会進出の仕事をしていた)。

家族を残して自分だけ日本に退避することは本当に胸が痛みましたが、

家族にも背中を押され、今、私は日本に来て一生懸命働き、生活をしています。

日本のこれまでのアフガニスタンへの支援に感謝します。

これからも、どうかアフガニスタンのことを忘れないでください。」

 

「アフガニスタンからの退避者の過去・現在・未来」小川玲子氏

小川氏は大学の教授として、過去に日本に来ていたアフガニスタン人元留学生への支援にご尽力されています。アフガニスタン人元留学生への支援を続ける中で、彼らが直面する厳しい現実や日本定住に向けた課題の解決に献身的に取り組んできました。本イベントでは、そのご経験を基にお話しいただきました。

<アフガニスタンと日本とのつながり>

日本は様々な分野でアフガニスタンの復興支援に携わってきました。特にJICAを中心とした「未来への懸け橋人材育成プロジェクト(PEACE)」では、1,400名以上のアフガニスタン人留学生を大学・研究機関に受け入れました。

本プロジェクトの目的は、アフガニスタン人の高度な人材育成でした。日本の大学を出てアフガニスタンへ帰国した元留学生は、前政権では主要なポストに就いていたり、アフガニスタンの大学で働いていたりしていました。

しかし、政変後このような方々は、残念ながら迫害の標的になってしまうケースが増え、日本への退避を希望するに至ったのです。

 

小川氏によると、日本の各大学は元留学生を受け入れるために「非常勤講師」として「教授ビザ」の発給を急ぎました。呼び寄せに際して、彼らの身元が明らかにならないように「大学のウェブサイト等から個人情報を消す」などの対応も行いました。

日本の大学は一丸となってアフガニスタン人のために日本政府に働きかけています。

以下、小川氏が発表の中で紹介した大学機関が協力して行ってきた活動です。

・署名活動

・シンポジウム開催

・クラウドファンディング

・要請書の提出

 

他にも、AFAを通して、アフガニスタン人退避者に対する調査を実施しています。イベント内では、回答者の「63%が日本への定住を希望しており、93%が帰国すると迫害の恐れがある」との結果を報告していただきました。

(本調査について、5月31日に行ったイベントアフガニスタン支援の“今” ~現地女子教育と国内避難の現状~」の開催報告に詳細をまとめております。)

<現在の課題>

このように積極的にアフガニスタン人退避者のために活動を行っていても、日本への退避や定住の課題は山積みです。

例えば、アフガニスタン人が日本へ退避したい場合、留学や就労が決まっていることがビザを発給するための条件です。短期滞在ビザが自由に発給されるウクライナ避難民とは大きく差がついてしまっています。

また、小川氏は来日後の支援の在り方についても言及しました。大学機関の尽力によって退避できても「その後の定住や生活支援は全て大学に任せられており、支援の形にばらつきがでてしまっている」とのことです。

 

今後の課題として小川氏は以下を提示してくれました。

・日本語教育 … アフガニスタン人に関わらず多くの在留外国人への支援が必要

・就労支援 … 非常勤講師という枠は有期雇用であるため民間の就職口を探さなければいけない

・住居確保 … ウクライナ人へは県や自治体が無償提供しているがアフガニスタン人には適応されない

・子どもの教育 … 特に15歳以上の教育に大きな課題がある

・メンタルケア … 家族を残してきた人が多く、日本での定住の課題に加えて親や兄弟を心配して精神的に参っている人が多い

 

小川氏は最後に、元留学生の声を届けてくれました。

 

「日本に留学していた時には日本は第2の故郷だと思っていた。今、第1の故郷の祖国がなくなってしまったので、日本は第1の故郷です。」

 

命の危険から逃れるために日本に退避して来たアフガニスタン人は、現在異なる問題に直面しております。

彼らが定住や生活で抱える負担が少しでも軽減されるように、日本人として「私たちにできること」を考えるのは非常に重要だと感じます。

 

 

  • ● 第二部:パネルディスカッション

第二部の冒頭に、もう一人、日本に留学生として退避してきたアフガニスタン人女性にお話ししてもらいました。彼女は、政変後に命の危機を感じ、すでに日本にいた姉に呼び寄せてもらったとのことです。現在は、浜松で日本語を勉強しているとのことです。

退避後の実情についてお話しするアフガニスタン人女性

サラさん(匿名)

「政変が起きた時は、20年間の努力(復興支援の成果)が失われたと感じました。

一日で全てが変わってしまったことが信じられず、その現実を受け入れることが非常に難しかったです。

日本に退避できたことについて、日本政府と日本の皆さんに、心から感謝しています。

退避して来た頃は、日本での生活に慣れないこともありました。

しかし、今は日本語学校での勉強を通して外国人の友達もできました。

また、日本での生活の中で日本人の友達もできました。

ことばの壁や学費が高額で、いつまで続けられるか分からないという不安があります。

将来は、ファッションデザインの仕事に就いてみたいという夢があります。」

 

その後、司会・モデレーターの松岡氏と小川氏、山本を再度お迎えして、活発なパネルディスカッションが行われました。パネルディスカッションでは、事前に参加予定者から頂いたご質問や、イベント中に頂いたご質問に対して各登壇者が回答しました。

パネルディスカッションの様子:小川氏(左)、松岡氏(中央)、山本(右)

松岡氏:アフガニスタン国内では女性が迫害を受けるということはやはり多いのですか。

山本:女性だから迫害を受けるというよりは、社会進出した女性たちがターゲットになることが多いと思います。また、女性への制限や規則が多くなってきている中、その規則に従わない女性やその夫に対して罰を与えたりすることはあります。

 

松岡氏:日本に来た退避者の中で、仕事が見つからないという問題を挙げていましたが、逆に就職に関してうまくいった例などはありますか。

小川氏:いろいろ挑戦はしていますが、実際のところやはり日本語能力の壁が高くなかなか好事例を出すことができない状況です。博士号を持った方で10社以上に応募をしたのですが、1つも決まらなかったという例も存在します。今後、彼らの高い能力や専門性を活かすことに考え方を転換して、日本の企業は雇用方法を広げていく必要があると思っています。

松岡氏:浜松でも、就職支援をやっています。やはり、企業にとって日本語の壁は厚いということを感じています。このような状況の中で、AFAではどのような支援をしていますか。

山本:AFAでは政府への提言や市民への情報発信を主に行っています。また、退避を希望している人に対して、退避に必要な情報を収集、集約し、提供しています。時には、「命の危機があり、助けてほしい」という問い合わせも来ることがありますが、やはりAFAとして個別のケースに一つひとつ対応することは難しいので、全国(HICEさんも含め)にこのような方々に支援ができないか呼び掛けています。

 

松岡氏:つい先日日本政府が、日本大使館に勤めていたアフガン人とその家族(98人)に難民認定を与えました。これは明るい兆しなんでしょうか、どうお考えですか。

小川氏:これまでになかったケースで、人道的な観点から良かったと思っています。しかし、彼らは日本政府のために働いていたという背景があり、1年経ってからしかそのような対応がされなかったという点に関しては検証が必要だと考えております。そして、難民認定はゴールではなく、これから彼らは日本に定住していかなければいけません。定住のための支援をこれまでしてきたか、これから支援の予定があるのか、ということは日本全体で考えていかなければいけないと思っております。

 

松岡氏:国際社会がタリバン暫定政権への経済制裁を科していることによって、国民に大きな影響が与えられています。それについて、アフガニスタン人としてどうお考えですか。

アフガン人退避者:おっしゃる通り、経済制裁によって最も打撃を受けているのはタリバン暫定政権ではなく国民です。国際社会には暫定政権との対話を試みて、どうにか支援を再開する糸口を見つけてほしいと思っています。

 

参加者へのメッセージ ~日本に住む私たちにできること~

アフガニスタン人退避者女性(サラさん):

人種、言語、国籍、宗教に関わらず、人間としてお互いを尊重し、助け合わなければなりません。
日本政府と日本社会に対して感謝を示しつつ、外国人への無償の(日本語)教育の提供をお願いします。

 

アフガニスタン人退避者女性(セリアさん):

私を日本社会に受け入れていただいたことに加え、長年のアフガニスタンへの支援に感謝しています。私は今回退避できたことが非常に幸運でした。しかし、アフガニスタンには日本への退避を求めている人がまだまだたくさんいます。このような人々を受け入れていただけると非常にありがたいです。

 

小川氏:

ウクライナの方の受け入れによって、日本の地域社会で良い連携ができています。そのような繋がりを他の避難民のケースに活かしていくことが大事だと思います。また、本日、参加している人の中に、日本語学校の方がいらっしゃいましたら、学費免除などの対応をしていただけますと、非常にたくさんの人が救われると思います。

 

山本:

難民保護の基本原則には「誰でもどこでも安全を求める権利」というものがあり、それは国際社会が共有している義務です。日本国内でその理解を進めることがまずは第一歩なのではないかと考えます。退避して来た人の中に昔難民だった経歴を持つ人がいます。この人は20年間一生懸命勉強し、アフガニスタンのために働いてきました。しかし、政変が起き、また外国に退避しないといけない状況が起こってしまいました。この人は冗談交じりに「私の最終経歴は難民です」と言いました。退避する人たちは故郷や家族を思い、複雑な気持ちで母国を後にします。そんな彼らに寄り添うことができる国、日本であってほしいと切実に願っています。

アフガニスタン人はユニークで面白い人もたくさんいます。普段の生活のなかで、彼らに話しかけたり、積極的に関わったりすること自体が避難民、退避者に対して「寄り添う」ということになるのではないかと思います。

 

 

今回のイベントでは、日本に退避して来たアフガニスタン人に対して「何ができるか」をテーマに、歴史やこれまでの経緯、さらに退避して来たアフガニスタン人が抱える問題について紹介しました。

また、昨年の政変後、実際に退避して来た2人のアフガニスタン人女性にもお話しいただき、受け入れ国としての日本の体制面での課題が見えてきたように感じます。

 

今回紹介された課題や問題というのは代表的なものではありますが、一方でそれぞれの退避者が抱える問題に、多様性が存在することも忘れてはいけません。退避者の数だけ問題や課題の種類が存在し、その一つひとつのケース全てを国や県、各自治体でカバーするのは簡単なことではありません。

しかし、私たちのような市民一人ひとりが彼らに寄り添い、「自分にできること」を考えることは、避難民や退避者の抱える問題の解決に、日本が一丸となって向かっている姿ではないでしょうか。

私も、自分にできることは何かを日頃から考え、行動できるように心掛けて参りたいと思っております。

 

地球市民事業課 喜納