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Cambodia / カンボジア 国の歴史と教育問題

30年近く続いた内戦が終わり、近年、経済発展を遂げている一方で広がる経済格差、伸び悩む教育の質、貧困、高い非識字など、挑戦すべき課題は山積みのままです。

カンボジア基礎情報

国名/首都 カンボジア王国/プノンペン
基本情報 人口: 1,486万人(2012年、世界銀行)
国土面積: 18.1万キロメートル
言語: クメール語
平均寿命: 74.8歳(2012年、ユニセフ)
乳幼児死亡率(1歳未満): 19人/1,000人 (2012年、ユニセフ)
幼児死亡率(5歳未満): 22人/1,000人 (2012年、ユニセフ)
経済状況 一人当たりの名目GDP:  944ドル(2012年、世界銀行)
消費者物価上昇率(インフレ率): 2.9%(2012年、世界銀行)
教育状況 小学校を卒業する率: 48.8%(2010年、Education for All Monitoring Report 2013/4)
成人識字率: 78% (2010年、ユニセフ)

カンボジアの歴史

9-13世紀のアンコール王朝を経て、14世紀以降国力が衰退。19世紀にはフランスの植民地となりました。1953年、シハヌーク殿下のもとフランスから独立を果たします。1970年3月アメリカの支援を得たロン・ノル将軍がクーデターにより政権を握ると、カンボジアの長期にわたる内戦の歴史がはじまりました。

1975年4月17日、前政権が倒されポル・ポト政権が誕生すると、さらなる恐怖政治が行われました。貨幣禁止、宗教の否定など急激な大改革が行われ、知識人の処刑や強制労働による衰弱、病気、飢えにより、少なくとも200万人以上の人々が命を落としました。1979年1月、ヴェトナムの支援を受けたヘン・サムリン政権が誕生し、人々はポル・ポトによる恐怖政治から解放されましたが、新政権がヴェトナムの傀儡政権とみなされたため、多くの国連加盟国(特に西側諸国)から支持されず、国の再建、復興は進みませんでした。

1991年10月、パリの和平会議において、カンボジア和平協定が調印されます。1992年3月にUNTAC(国連カンボジア暫定行政機構)が最高国民評議会と共に総選挙、新政府樹立までカンボジアを統治することになりました。1993年に国連管理下で第1回総選挙が行われました。現在では、与党長期政権による政治的安定と経済発展により平和構築が進められていく一方、貧富の格差の拡大が社会問題となっています。

カンボジアでの教育問題

ポル・ポト政権時代、学校教育を廃止したため、学校の校舎は破壊されるか、軍の基地や刑務所などとして使用されました。教員は知識人とみなされ、小学校の教員も8割が殺されるか強制労働で命を落としました。また焚書政策によってカンボジアの書物の大半が失われました。
内戦終結後、校舎の建設が行われていますが、2010年の教育省の調査では建物の状態が良好な校舎の数は5割にとどまっています。教室数が不足している学校では、午前と午後にわかれた2部制をとっていますが、それでも追いつかないところは3部制をとり対応しています。そのため、児童一人当たりの授業時間は短くなっています。また内戦で教員が激減し、数を補うため正規のトレーニングを受けずに村長が選んだ村人が教員になりました。そのため、現職の教員の育成も必要となっています。